普段ネットとかの記事を見たりして、少し感想を頭のなかで唱えることがある
時には問題になっていることに対して風呂に入りながら考察して、自分の少ない経験から自分だけの『考え』を出してみたりする
でも明日になるとどうでも良くなってしまう、結構ろくな意見じゃない?のかもしれないからだ(今打ち込んでるのも明日になればどうでも良くなるかも)
こういうふうに自分の意見を殺してしまうことが多々ある、しかしそれでいいのかもしれないと思うのだが、それでは良くないとも思う
というのも自分の今の境遇から出た『考え』に信憑性や自信がないからだ、
こういう自信や信ぴょう性は自分の中だけで風化してしまうからいろいろな場所でコメントを残して反応を伺えばいいのだろうか?
もしも「いろいろやってみるといいよ!!」なんて言われた日には「そうなのかな?」と思うし
「別にしなくてもいいんじゃない?」て言われたら「そうかも」と思うかもしれない
結局のところどう考えていようとも自分の『考え』が風化してしまうわけだ
『いいことはいい結果になりやすい』『悪いことは悪い結果になりやすい』『いいことだが悪いかもしれない』『悪いことだがいいかもしれない』
年を取るごとに上記のような問題を目にする機械が多くなるとおもう、でも自分の中の何か(経験かな?)が足りてないせいで自分の『考え』自信と信憑性眼持てないのだ
今回のこの文章を書くにあたって自分の中で出した『考えは』「意外と『考え』は自分の中で腐りやすい」ということだ