中学生で父親と一緒にお風呂に入るのが普通だとは、自分でも思っていなかった。ちょっと止めたいな、と思ってた。そこまで絶対嫌ってほどではないにせよ。
内心そう思いながら、表面上全く気にしてないふりで一緒に風呂入ってた理由は、私から「一緒に入るの嫌だ」と言いだすことがためらわれたから。
何でためらわれたかっていうと、そんなことを言ったら「実の父じゃないから反抗している」「自意識過剰で性的虐待を疑っている」と思われて怒られそうな気がしたから。
あと、そういう性的なことに言及するの自体、何か後ろめたさを感じていた気もする。
結局は、父の方から止めようと言いだしてくれたので、私は誰にも怒られずに済んだ。
もちろん父はその時もその後も、私を一貫して娘として扱ってくれており、性的な扱いは全く受けたことが無い。
後から思えば逆方向に私の自意識過剰で、私から言い出しても別に誰も怒らなかったかもしれない。まあ、今となっては分からないことだ。
つまり何が言いたいかって言うと、子供が自分から一緒の風呂を止めると言いださないからって、気にしてないとは限らないってことです。
とはいえ、中学生にもなったら、思っていることはちゃんと主張して、「察してチャン」は卒業し始めるべきかもしれない。
それまでの育て方で、こういうときに怖気づかず主張できる自立性と、主張しても大丈夫な家族の良好な関係ができているのがベストなんでしょうね。
おまえの義父は良い父親だな 母親も見る目がある
反応に怖気づくような物言い表現を避け、やわらかい表現(言語でも・非言語でも)を使って諭させること、その方法をいろいろ練るのも、いい人生を送っていくための有用な勉強だな...