コミュ症は虐げられやすい生き物である。学校生活を送っていくにつれて、自分の世の中の価値を嫌という程知っていくのだが、コミュ症は自分がヒエラルキーの底辺にいるのだということを理解したとき、生きる意味を考えるようになる。自分は果たしてこの世に必要なのか。無口とは社会に悪影響はないのだが、その発言力の低さから、他者の優越感を得る対象になりやすい。その上、人は皆自尊心を持つので、虐げられた者の心情は想像しきれない程である。生きる意味を見出せない人々は、子供にも同じ思いをさせないために、子供を産まなくなるだろう。少子化の原因がヒエラルキー下位の人々の排斥にあることは、たとえ経済が豊かになったとしても、なくなることはない。何か別の対策が必要だ。
さて、無口を排斥するヒエラルキー上位の者たちは、それによって少子化を生み、国力が衰退し、国が維持できなくなるのをまったく想定できていないだろう。国が維持できなくなれば、隣国に首輪をつけられ、今度は自分が排斥されることになるのであるから、これほど滑稽なことはない。弱者を守れる社会こそが、真に強い国家、つまり誰もが幸せな社会を生むのだ。
世界にはなんで右利きばかりなのかというと?