2015-02-24

コミュ症は淘汰されていくか、それとも社会に守られるようになるか


コミュ症は虐げられやすい生き物である学校生活を送っていくにつれて、自分の世の中の価値を嫌という程知っていくのだが、コミュ症は自分ヒエラルキー底辺にいるのだということを理解したとき、生きる意味を考えるようになる。自分果たしてこの世に必要なのか。無口とは社会に悪影響はないのだが、その発言力の低さから他者の優越感を得る対象になりやすい。その上、人は皆自尊心を持つので、虐げられた者の心情は想像しきれない程である。生きる意味を見出せない人々は、子供にも同じ思いをさせないために、子供を産まなくなるだろう。少子化の原因がヒエラルキー下位の人々の排斥にあることは、たとえ経済が豊かになったとしても、なくなることはない。何か別の対策必要だ。

さて、無口を排斥するヒエラルキー上位の者たちは、それによって少子化を生み、国力が衰退し、国が維持できなくなるのをまったく想定できていないだろう。国が維持できなくなれば、隣国に首輪をつけられ、今度は自分排斥されることになるのであるから、これほど滑稽なことはない。弱者を守れる社会こそが、真に強い国家、つまり誰もが幸せ社会を生むのだ。

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