かつてビートルズを愛好する若者を叩いていたあの大人たちと同じになっちゃったんだって気付くべきだ。
勿論技術面なんかで違いは色々あるだろうけど、つまるところは同じ構造にある。
かつて自分たちがそうされてきたことを繰り返している。
あまりに凡俗だし、発想の豊かさもなければ、科学技術の発展の恩恵にも浴せない脳みそになっちゃっている。
こうした中で、世代間に軋轢が生まれやすいことを解った上でSEKAI NO OWARIを叩いている奴が、この時代にもやっぱりいる。
彼らはSEKAI NO OWARIを愛好する若者たちに、何か印象を与える。心に残る叩きを行なえる人たちだ。
いつの時代も、凡俗に社会を繰り返すことしかできない人間と、劇的には社会を変えないがじわりと後世に何かを残せる人間とがある。