昔。若かった頃。宮崎勤事件があった。オタク文化への無理解の嚆矢だろう。
その時の報道に触れて「俺ならこうは書かないな」と感じた。同時に「俺の世代が記事を書くようになればもっと理解のある内容が増えるのだろう」と漠然とした自分を含めた「世代」への期待感があった。俺らの世代が一線に立つ頃には汚職はなくなり、公平になり、社会はよくなる、と信じていた。
ところがどうだ。同世代それより若い世代が書いてるであろう新聞記事はそのころと変わらずオタク文化を叩き、相変わらず汚職も談合もおこりっぱなし、俺が生まれたころから言われ続けた少子化問題は40年ちかく時間がかかって解決できず、移民だの、ロボットだのすぐに解決する方法を求める始末だ。
「いまのわかいもんは」と言われた俺たちは言う側になり、やがて老害と言われるのだ。ブラック企業というのはわかりやすい「今どきの若いもんは」という連中の根城だろう。「俺は耐えた」から他人にそれを求める。今も昔も人は自分ができたことは他人に求める。そして「今どきの若いもんは」と自分を慰めるのだ。