2014-06-17

コンプレックスが無いことがコンプレックスなお前、ちょっと来い

自分は、自分を突き動かすようなコンプレックスというものがパッと頭に浮かばない。仕事においても私生活においても、辛い事はそれなりに沢山あったものの、コンプレックスとして常に頭の中に残り、日頃の自分の行動を左右するような経験というものを聞かれてパッと応えることができない。その理由はなぜだろう。

1)

そもそも自分に都合の悪いことは、深く考えずに放置しまう体質がある。わりとなんでも卒なくこなすことができるので、たまにうまくいかないことをそこまで深く考えない傾向がある。

2)

うまくいかないことも前向きに考え、少し前進したことで「自分は最悪な時よりも進歩した」と、自分を肯定する傾向がある。

3)

うまくいかないことを他の人と同じくうまくいかない自分が嫌で、他の人がめげてしまうようなところでわざと自分はめげない、万人と同じは嫌だ、という心理が働く。

2は失敗を乗り越えてうまくいった時に感じる感情であり、その肯定で「全てがうまくいった」と考えるものでもないので、短絡的ではあるが前向きな性格であるとも言える。

3は少々あまのじゃくではあるものの、そのあまのじゃくさが功を奏して、自分を切り替えるスイッチになっていたりもするので、悪いものではないと感じる。

問題は1。前向きな性格であるが故に、自分の失敗に対して深く掘り下げ、その原因を追及しないところに、コンプレックスとの無縁さがあるように思う。

コンプレックスがある人はうまくいかない自分と向き合い、自分自身に「なぜ?」と向き合っている人が多くいると思う。人には言えないコンプレックスは、自分自身と向き合うしか消化する方法は無い。消化できるかもわからないが、とにかく向き合うしかない。逃げ場が無い人ほど、自分自身の中に答えを求め、追求していく。

この「問題に対して真正から向き合う姿勢」というのが、コンプレックスをバネに飛躍する人の特徴であると思う。(ただし、その特徴が良い方向に働くものと、良くない方向に働くものがあるのは事実としてあるが…)

しかしながら、コンプレックスを感じにくく育った人が、今からコンプレックスを持って生きて行く、というのも無理な話だ。みうらじゅんの「アイデンアンドティティ」という作品の中に出てくる「不幸でないことが不幸」という言葉にも通じるが、いくら不幸でないことを不幸と叫んだところで、コンプレックスをバネにして成功した人のような力を得ることはできない。

コンプレックスが無い人は、コンプレックスが無いことを嘆くのではなく、コンプレックスが無い自分に対して向き合うことが重要だと思う。

無ければ無いでいい、しかし、違った形でも自分自身の失敗について「なぜ?」と振り返る時間をしっかりと意識して作ることができれば、自ずと結果が出せるのではないかと思う。

色々と書いていて分かったが、結局コンプレックスがあろうがなかろうが、どちらでも良いという話か。どちらでも良いが、自分自身についての振り返りをしっかりとすれば、成長につながるのではないかと思う。

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