さみしさは感じるけれど、それを燃料にして異性や友人と親密な関係を築こうとするほどの強いさみしさではなかったし、モノを所有することに喜びを感じないので、最低限まともに生活できるものを揃えてしまえば、街に出ても何も買うものがない。食事なんかも、食べられれば何でもおいしく感じられてしまうので、時間とお金をかけて質の高い食事を求める気にもならない。人の話を聞いて比べる限り、性欲も少ないほうみたい。睡眠欲はけっこう強いけど。
仕事もそう。客観的に判断しても、私は良くできるほうだとは思うけど、他に時間を埋めることがないのでやっているという感じ。趣味も、集中力は1時間も続けば良いほうで、ふっと飽きてしまって、没頭することがない。
だいたいにおいてそんな風に生きてきて、私はこんな生き方をそれなりに気に入って満足してはいるのだけれど、ときどきふっと、自分の存在が消えてしまったかのような悲しみに襲われることがある。
さみしさとやさしさでつながった人間どうしの親密なネットワークから私は阻害されていて、豊かな文化や文明によって得られたはずの洗練された喜びを私は知ることができない。普段そうした親密さや上質さを求めることがないから、求めない私がそれらから求められることだってない。私には、何かそういう、求めたり求められたりするような人間性が決定的に欠けているんだろうな。そんな悲しみ。不安、罪悪感、後悔、さみしさ、そんなものが渾然一体となって。
求めないから、得られないことの苦しみを嘗めることがない。そのかわりに、あまりにも大きな悲しみのなかに悟りきっていない私をときどき見出すことになる。どっちが良いとか悪いじゃなくて、そんな風にして生きていくしかないんだろうなって。
求めない者は求められないって答え出てるのなら、求めればいいのでは? 何がしたいのかさっぱり分からない こういう女は厄介で近寄りたくない
もう少し待ってろ。 チビ男が喜んでケアしてくれるよ。