ダジャレがないときの苦し紛れの感嘆を、ウザいと叩かれ話題になった。
悲劇だったが、ダジャレしか考えてないと思われていた彼の真意が伝わることになった。
彼が感嘆で詰まるのは、安易なコメントをすることを恐れいていたからだと言う。
なぜ詰まってしまうのか?それについては、彼が語ることはなかった。でも僕はこう思う。
彼がダジャレを書くのは、純粋にダジャレを楽しませたいからだ。
安易なコメントをすることでバイアスされた評価をされたくないのだ。
純粋にダジャレだけを楽しんで欲しいと苦悩した時、安易なコメントが出来なくなったんだろう。
嘘というのは簡単に誰かを楽しませることが出来るが、それ以上に簡単に誰かを裏切る。
嘘を付くなとは言わない。誰かを楽しませる手段に嘘を選んだ以上、その嘘で誰かを裏切ってはいけない。
虚構新聞が裏切ったのは誰か?それは、彼のジョークを待つ人々だ。
虚構新聞はジョークサイトだ。虚構新聞の受け手はジョークを楽しむために彼を待っている。
虚構新聞は、そんな人々を裏切り、ジョークを楽しませるのではなく、アグネス叩きに扇動した。
というのも、今の虚構新聞を待つ人々は、アグネス叩きでも楽しめる層である。
擁護する人々は、自分達が裏切られた事も気付かず、彼を庇う。
ジョークサイトではなく、ジョークも織り交ぜた悪質な煽動サイトとして認識を変えればいい。
そういう客が多いだけだ。
それを美しいとは思わないが