いま、虚構新聞を語るとき「虚構新聞が面白いかどうか」が論点になっていることが多い。
しかし、これは正確ではない。面白いか面白くないかは重要ではない。
虚構新聞の議論はかつて、「虚構新聞に騙されたor騙されていない」の議論だった。
虚構新聞を批判している人に対する反応は「虚構新聞に騙されて悔しいだけだろ」という程度の扱いだった。
この「批判している人=騙された人」という構造はかなり強力だった。
これは、裸の王様のような構造だ。「批判している人=バカ」という構造だ。
あほらしい構造だが、この構造は非常に強い。21世紀でも脅威的な威力を持っている。
しかしいま、虚構新聞に関するその構造がほとんど崩れようとしている。
「虚構新聞を批判している人=騙されたバカ」という書き込みをしている人は、かなり少なくなった。それが思い違いだとわかったからだ。
そして、その書き込みをしていた人々の脳の中で、記憶の改ざんが行われている。
脳の中で「虚構新聞を批判している人=騙されたバカ」という考えは最初からなかったことになり、その結果、脳の別の場所にあった「虚構新聞を批判している人=笑いに関する教養がない人」という考えが前面に出てきつつある。
だが、その考えも間違いだ。
虚構新聞を批判する理由は、面白くないからではないし、もちろん、騙されたからでもない。
重要な論点は下記だ。
なお、これは広告収入があることへの嫉妬ではない。広告収入は「サイト運営者がアクセス稼ぎをしたがっていること」の有力な証拠として使われるだけだ。
問題は、虚構新聞が「アクセスを稼ぐために、話題になりそうな嘘を嘘だとわかりにくいようにして拡散しているサイト」だということだ。嘘だとわかりやすければ、法的に訴えられる可能性も大幅に減るだろう。
虚構新聞の議論はかつて、「虚構新聞に騙されたor騙されていない」の議論だった。 あーそういうのって、確か歴史修正主義って言うんだっけ?w 俺はずっと昔から虚構つまんねーよと...
虚構新聞の社主って、 「巧みに馬鹿を騙してPVを稼いで金儲けする狡賢い運営者」というよりは、 単に「無知で無教養で脇が甘いだけの馬鹿」だと思うんだよ。