2013-11-01

へんな場所に生きている

へんなぶんか。へん。へんってなに。あいつらのほうがへんじゃないの。へんってないか。それよりも、何をめざしているか。それしかない。おまえの目指すものをは何だ。それは人を巻き込むのか。間に合っているのか。なんかもろもろのしちことと合致するのか。それだけじゃないかな。justってばっか言いたくなるんだな。そんなことばっか。世の中は、みんなどうかしてしまってる。自分も含めて。

こういうこと考える日は、動きたくない日なんだけど。それなんだけどね。

俺が生きる世界。俺の悩み。君の悩み。それがあるだけ。あとはぶわっとしたせかい。優しかったり。悲しかったり。つまりは信じれたり裏切れたり。信と不信だけの世界

もういっこ、物事が多面的な要素を備えているって世界。それは、解釈によって信にもなり、不信にもなる。その解釈は、背景による。立場による。その人の生きてきた考え方による。つまり全員多かれ少なかれ違うこと考えてる。

これ、非常に問題をややこしくさせる。

から、皆何とかして相手にちかづこうとするんだけど、どこかで自分のとげか相手のとげが刺さる。これジレンマジレンマばっかりなんだよ。そのうちに、基準がわかんなくなって、あれ、自分のとげが長すぎるんじゃないかとか、いじけたり。相手のとげが長すぎるんだろうと、すねてみたり。とげが短すぎる人には、他の人のとげがいっぱい刺さるし、長すぎる人には誰も近づけない。でも皆気持ちよく近づきたい。

このもやもやを、なんかにぶつけてしまおうとするのも、また人。音楽で心を落ち着ける人、感情を爆発させる人、絵を見たり風景を見たり。でもそれで終わればいいんだけど、いや、俺のほうが優れてるとか、こいつのは本物じゃないとか、また解釈の話を持ち出して、優越感に浸ったり劣等感を持ったりする変な生き物。うーん変。

あと、説明できない感情もある。恋とか。これは、執着の一つなんだろうか。つらい現実を避けるために生み出された逃げ道なのか。なんかよくわからんけど、つらいんだな〜。普通のつらさではない。普通のつらさ基準で言ったら、そんなにつらくない。

ふんどしで踊り終わったらそんなことを考えたよ。

  • 棘の痛みも、心のもやもやも。「それはそういうものだ」受け入れてしまえば 悩みからは解放されると思うぜ。 痛みやもやもやで、お前は死なない。

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