2013-07-13

人が動けないのは、めんどくさいからではなく怖いからだ

無気力だ、やりたいことがない、やらなきゃいけないことはあるけどめんどくさい、、、、

人は自分未来に向かって動けないという状態を、ヤル気がでない、エネルギーが足りない、などと捉えがちだ。自分を動かすポジティブ由来のエネルギー(将来に対する希望、夢など)が存在して、それが今足りないから動けないのだと。また、たいていの人は同時に将来に対する漠然とした不安や焦りも抱えていて、これも自分を動かす(ネガティブ由来の)エネルギーだと捉えている。つまり人間を動かすのはプラスエネルギーマイナスエネルギーかのどちらかだというわけだ。

だが、この考え方は間違いだ。人間が動けなくなるのは、怖いからだ。それ以外の理由はない。ヤル気やエネルギーなんてのは、自分についた都合のいい嘘だ。

何が怖いのか、それは自分が変化することだ。人間は変化が怖いのだ。自分の選択によって、自分が傷つくことを恐れている。社会で動くと、当然他者に好き勝手に干渉される。社会は自由だからだ。「自分には構わないでくれ」なんてわがままは許されない。結果として、酷く自分プライドが傷つけられることはあるだろう。「こうでありたい」という自分理想像は、他者の容赦ない評価や自分現実の姿によって幻想にすぎなかったことがわかるかもしれない。これは当然恐怖だ。誰だって最低限度のプライドを持っていて、それを守りたいのなら傷つくのは仕方ないのだ。それが怖いのもまともな感性だ。

実はもっとも恐ろしいのは、変化を恐れることではない。この恐怖から目をそらすことだ。

いから動けないくせに、ヤル気がでない、めんどくさいなどと言って余裕ぶっこいてるんじゃねえよ。目つぶってるくせに。

恐怖に打ち勝たなくても人は動けるが、恐怖を自覚しない限り人は動けない。

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