中学生のころ。アメリカで暮らして。日本に帰ってきたばかり。塾。英語のテスト。"English was XXX in Canada"のXXXを埋めろという問題。正解はspoken。受動態の勉強。そこに"popular"と入れた。×だった。意味的には通じる。実用上も問題ない。ただ、受動態を使うという目的からは外れている。だから×になった。
ところが、母親は納得しなかった。先生に駆け寄った。「なぜ×になったのか」と問い詰めた。うちの息子は海外で暮らしていたのに、ぐらいは言ったかもしれない。頭のよい人だったから、問題の意図を説明されたら、その場は納得したようだった。
家に帰ってから母に言われた。、「貴方は間違っていない。問題が悪い。」同じことを何度か言われた。他の人に言っていた気がする。うちの息子は間違っていないのに、×をつけられたって。
今日、ふと、これを思い出した途端、胸の奥がゾワゾワした。思わずノートに書きだしてみた。心臓がバクバク言い出した。なんだろう。今までずっと、違和感を感じなかった。信じられない。詰まる所「世間は間違っている、正しいのはお前」と母親に言われていたわけ。疑っていなかった。母親に無条件に肯定されていた自分。「貴方が正しい」全く疑っていなかった自分。そういう自分がいた。そのことに気付いた。
wasじゃなくてisってこと?
他に制約がなければ、普通に悪問だなそれ。 「動詞を適切な形に変換して入れよ」とか「下記の中から選べ」とか入っているべき。 「受動態の勉強をしてるんだから、受動態の文を作ら...