2011-10-23

そうだ、あそこに行こう!

仕事、というか、生きるというのは、どこに行くかを決めないとならない。

なのだが、最近は決めなくても生きていけるようだ。自分がそうだった。まねをしてればいい、というか。列車に乗ってレールの上を決まった速度で走っていく。それでもどの列車に乗るかは決めなくてはならない。でも、田舎の駅ならホームはひとつ選択肢がない。来た電車に乗ってしまうと次の駅まであいだは長いし、降りると次の電車まで時間がかかる。もしかしたらそのまま廃線になるかもしれない。さっきだって乗ってたのは僕一人じゃないか

都会であれば路線は沢山あるし、乗り換えもしやすい。他の列車に乗ってる人も見える。なにより同じ電車に大勢が乗っている。それだけで「間違い」じゃないと思える。安心できる。この列車に乗っていれば終点までいける。終点まで行けばそこで終わろう。

でも、生きるってそんなことじゃなくて、その路線の脇、窓から見える線路脇の道路で歩いている人もいれば、電車よりもっと早い乗りものを作ろうとしてる人もいる。同じ電車の人という関係じゃなくて、肩を組んで嗤いながら歩いてる連中がいる。ギターをかき鳴らしてるやつがいる。踊ってるやつがいる。

そんな人たちを窓から見過ごしていく。こっちのほうが冷暖房完備で速くて、確実で、大勢がいる。ああ、電車はこごちいいなぁ。できれば座りたいけど、後から乗った僕たちには椅子はなさそうだ。不安なんて何もないのに。






涙が止まらない。

  • へえ、あんたの電車は心地いいんだ。いいなあ。オレなんて満員電車乗っちゃったよ。 毎日息苦しいし冷暖房完備っつっても行き渡らないし。夏は暑いし冬はもっと暑くて呼吸がガチ苦...

  • そうそう、他人の人生を生きて行くのは誰だって欝になる。 かといって、飛び降りたら死んじゃうかもしれない恐怖。 でも、一つ法則がある。 「無心で飛び降りた者は、必ず助かる」

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