とてもよくわかる。
見るのも嫌だし、もっと恐ろしいのが自分にあの役割を期待されることなんだよね。
進行役はできないし、なにより絶対やりたくない。
あんまり面白くないことを大きな明るい声で言って愛想笑いもらうのも、
逆に愛想笑いするのも、耐えられない。
お互い目をあわさず横に並んで立つ感じ。
面白いことを思いついたときだけボソッとしゃべる。二人で忍び笑いをする。
どんだけ沈黙が続いても平気。
こういうのは人が多いとこでは許されないのはわかってるんだけど。
場のことを考えてないことは正直に認めるしかないけど
面白くないことを場を繋ぐために喋り捲るようなことに、羞恥心が耐えられない。
進んでやってる人はえらいなと思うこともあるけど。
(つか俺たちの行動様式が「結果的にモテない」ってお話なら甘受するしかないけど
なんで「モテるためにああいう行動様式を採っている」になるのかはわからん。論理がワープしている。)
俺達が場のことを一切考えてないなら、
逆に世の中の基準は場のことを考えすぎてるんじゃないか。
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