ニセ科学批判をなめすぎ。そんなことではニセ科学批判の活動家たちにバカにされるよ。
- ニセ科学批判活動家「たしかに、ビリーバーたちを説得することは無理だけれど、問題はそこじゃないんだ。ビリーバーの発言によって、普通の人が新たにビリーバーになることが問題。いったん、ビリーバーになったら二度と抜けられないから、そうならないようにすることが重要なんだ」
- 普通の人「…」
- ニセ科学批判活動家「だから、ニセ科学のビリーバーと話すときに、彼らの立場を理解するようなことを言っては絶対ダメ。そんなことをすると、まだビリーバーになりきれていない人が、科学とニセ科学は対等なんじゃないかと勘違いするから。新たなビリーバーを生み出さないように、ニセ科学を徹底的に批判続けることが重要なんだ」
- 普通の人「…」
まぁ、こんな感じ。
元増田は、ニセ科学批判運動に浸かっていないから、「指導」というような見方をするんだと思うけど、実際は批判すること自体が目的だから、「ニセ科学批判」と言うしかないんだと思う。
いわゆる「ニセ科学批判」に於いて、目指す方向、やろうとしていることは概ね賛同できる。 なのだけど、「批判」という用語を使うことに伴う語弊が大きすぎる気がしてならない。 ...
ニセ科学批判をなめすぎ。そんなことではニセ科学批判の活動家たちにバカにされるよ。 普通の人「ニセ科学がダメというのは分かるけど、あなたたちの言い方では、ニセ科学の...
完全に宗教だな。 と言うとニセ科学信者!って言われるんだよね。その辺りも含めて宗教っぽい。
「普通の人はニセ科学にホイホイ騙されるアホである」って前提があるからね。 そしてそれはニセ科学が商売として成立する程度には正しい。
クエスチョンマークの後に句点を置いちゃうような人に「他の言い方を考えよう」って言われてもなあ。
むしろもっと積極的に「ニセ科学撲滅運動」で
糾弾だな そして、矛先はそのニセ科学の発信源に向けるべきだ。 なぜなら、それがインチキである事を一番よく知っているのは彼らだから。
あぁ、言われてみれば…なるほど。 そうで無いかは、まさしく『神のみぞ知る』。