2011-07-15

正論ハラスメント

 遅刻するなとか、締め切り守れとか、文句あるなら先に言えとか、やるんなら最後まで責任もてとか、やらないくせに口に出すなとか、手段を目的化するのはやめろとか、当事者意識を持てとか、やる気無いならやめろとか、挨拶しろとか、モノを頼むとき目的をはっきりさせろとか、見通し立ててから動けとか、返事はすぐ返せとか、分からないなら聞けとか、抽象論に逃げるなとか、自分味わった苦労を人に味わわせようとするなとか、状況のせいにして責任の所在をうやむやにするなとか、代案が無いのに否定だけするなとか、仮説のない試行錯誤をするなとか、ルールは守るか理由付きで破るかのどっちかにしろとか・・・こういうことを自分が言われたり、そういうことを言われそうな自分自分で気がついたりすれば、僕はすぐに受け入れて直すようにしている。それは僕がこれらのことを正論だと思っているからだ。そして、これらを心の底から正論だと思っているからこそ、僕はそれができていない他人を見ると「こうしたらいいのに」と言ってしまう。ある意味、僕は自分にも他人にも厳しい人間なのかもしれない。

 

だけど、ここのところ上手くいかないことが多くて色々悩んでいるときに気がついた。これはハラスメントだ。「正論ハラスメント」と名づけよう。

 確かに、これらの意見正論だ。僕は「正論よりも正しい意見があるなら反論しれくれればいいのに」と思っているのだけれど、僕が正論だと思っていることは、あんまり人に反論されない。つまり、これらの意見は、一般的には誰もが正しいと思っている正論だと言うことだ。

 ではなぜそれを「こうしたらいいのに」と人に勧めることがハラスメントになるのか。それは、正論が「反論できないから」に他ならない。僕にとっては、反論できないことは良いことであり、反論されそうな自分を見つけたらどんどん改善していくことで、自分を可能な限り正論に近づけていくことが理想だと思っている。だけど、気がついた。そうではない人もたくさんいる。「自分を完全に正論化するなんてやってられない」という人がほとんどなのだ。僕は自分正論で論破されたら悔しいし気持ち悪いから、すぐ直すことに自分リソースを割り当てる。だけど、「わかっちゃいるけどね」の段階で聞き流している人がほとんどなんだと思う。

 だから、そういう人たちに、僕が「こうすればいいのに」と思って言った正論は、その人を嫌に気持ちにさせるが、反論することもできない一方的な攻撃、つまりハラスメントのようになってしまいうる。僕はまだ社会経験はないが、世の中には、「正論を言ったところで何も解決しない、もっと難しいところに問題がある」というケースが山ほどあるのだろう。人に優しく、自分に厳しく、だけど人に好かれるために行動する人間にもなりたくないし、必要なときには正論で人を否定することができる人になりたい。

  • なんだ潔癖ニート君か そんなもの社会では通用しない

  • できもしないお前が言うな、お前に人望がない、「お前の言う正論」をぶつける相手は嫌いで気に食わない奴

  • なぜかしらないけど、IDコールされたので来た。 この増田さんにはこれらの本を読んでほしい。 http://d.hatena.ne.jp/hihi01/20070521/p2 http://d.hatena.ne.jp/hihi01/20080409/1207734242 わかってほしいのは...

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