最新のオーストラリア Game Informer誌はソニーが未発表のPlaystation4用のゲームを準備中であると開発者に語ったと伝えた。Playstation4の存在はすでに多くのゲーム業界人から予想されており、2012年にリリースするといわれている。
これは公式な発表ではないが、ソニーがゲームメーカーとリリースの調整をしている徴候と考えられるだろう。通常ゲーム開発は2~4年ほどかかリ、開発者はゲーム機の発表前に新製品の仕様を把握する必要がある。最短開発期間は2年で、これも2012年の発売を示唆している。その頃Playstation3は発売6年目でライフサイクルの後期にあり、新機種の投入があってもおかしくは無い。
記事に書かれたことが本当なら、ソニーがPlaystation3の後継を着実に開発していることをはっきり示している。おそらく開発者が適切にゲーム開発ができるように公開前の次世代機の予定仕様を提供されたのだろう。
この話は前の月に起きたニュースを列記するGame Informer誌の"Bite Size"コーナーに書かれている。これは噂話ではなくニュース記事であり、信憑性がある。
ソニーが今年Playstation3の後継機を発表するとは思えないが、情報が漏れ伝わるにつれ来年発表の可能性が高まるだろう。今は待つしかない。
(原文)Playstation 4 games in development says Sony
http://www.neowin.net/news/playstation-4-games-in-development-says-sony
友達は少ないし、何事においても一番になれない奴だし、女にはフラれるのがデフォだし、俺のことをボロクソに言う人もいるし、そしてもちろんイケメンじゃない。
でもなぜか、人生辛いなとは思ったことがなくて、今だからそう思えるんだろというレベルじゃなくて本当に悩みということを抱いたことが無いレベル。世の中完璧じゃないけどまぁ悪くないと感じてるし、根拠はないけど将来はもっといい世の中になるとすら感じてる。
思春期にすら何かで深く悩んだ経験はないし、そんなんだから自殺を選択肢で考えたこともない。(自殺を考えたことがないことは、実の母親から“あんたは気楽でいいねー”、と当時言われた。俺はめったに悩むことはなかったけど考え込むことはよくあったので、気楽に見えていたのが不思議だった。後で聞くと、母親は何かで深く悩んで自殺を考えたことがあるらしい。)
そんなちょっと感情的な母親だけど、親と自分の関係を疑ったことはないし、親の愛情を疑ったこともないし、兄弟も仲がよくてお互い信頼している。でも所詮は親子も兄弟も他人という感覚というか覚悟はかなり昔から持ってる。
何かをやる時は、親や先生が何と言おうと結局は自分で決めて自分がやりたいからやるという考え方を昔から持っていた。それこそ小学生のころから。(人の話を聞かずにやりたいことだけやる我侭なガキ、では無かった。でも納得して、それが正しくて俺がやりたいことだときちんと腑に落ちないと何もやらなかった。だから、理屈っぽいガキだった。)今でも俺はそういう考え方をする癖がある。一つ例を挙げると、ヨメを大事にするのも子供と遊ぶのも子供の健康を祈るのも、ヨメのためでもなければ子供のためでもなければ、ましてや世間一般がそうすることに価値を置くからではない。自分のためにそうするのだ。ヨメに幸せになって欲しいし子供に幸せな人生を送って欲しいと願う俺がいるから、俺はその考えに基づいてヨメと子供を大事にしている。同じように俺は世の中が良い世の中であって欲しいと願うから、自分自身が良い市民であるようにつとめているし、世の中を大事にする。
子供のころからだから、自分がやっていることは実は自分がやりたいからやっているのだという考え方は、俺の中でかなり根強いらしい。だから、他の人も同じような考え方をしているんだろうなぁと思っていた時期もある。けど、どうやら違うらしい。なにせ、やりたくない事でもやらなきゃいけない事はある、なんて俺の周りの人間のほとんどは言うくらいだから。彼らはやりたくないことをやりたくないままにやっているのかな?それとも理屈説明していたら話が進まないからそうしているのかな、最近の俺もそうだし。
そんなベースの考え持っていて、高校生の時はコギトな人だねとか言われたことはあるけど、哲学なんてかじったことすらないし、哲学本も読んだことがない。何のために生きるのか考えたことなかったし、自分とは何なのか考えたことないし、その自分の人生の意味とかもちろん考えたことない。それを考える哲学という学問があるのは知ってはいたが、普通に理系に進んだ。
前置き長くなったけど、でも今日はじめて哲学に関する本を買った。『14歳からの哲学』って、名前からして入門書をぜんぜん14歳じゃない俺が買った。数時間で読み干した。何でこの俺が今日になっていきなり哲学本を、しかも14歳向けの本を読もうと思ったかは、子供との会話。今年になって子供が色々と話をできるようになってきた。この年頃はどの子もそうなんだろうが、死ぬって何なの?何で私は生まれてきたの?私はどうして○○ちゃんじゃないの?なんて話すようになり、これは一度は哲学本を読んどこうと思ったのだ。
子供との会話がきっかけで哲学入門本を読んでみたわけだが、その本を読みながら新しい自分が生まれるような気がした。今日は子供が私にくれた俺の第二の誕生日のような気がする。親は子に育てられるって本当だな。
最近、「ドブスを守る会」とか「ゴミムシ」という替え歌に代表されるように、必死で高学歴を馬鹿にしようとして醜いオナニーをかましている底辺のクズがいるけど、実は高学歴は仕事をするための憎悪がなくなっていて、お前らクズのむかつくオナニーが必要だから、一定の場合に限ってクズがオナニーをすることを認めて、それを見てお前らに対する憎悪を涵養しているんだよ。つまりお前の時代が来たんじゃないんだよ。おもっくそ利用されているんだよ。お前らのオナニーを見て憎悪を溜め込んだ高学歴に後でとんでもない目に遭わされることも予想できないのかねえ。そもそもクズってすでに自由ではないんだよ。高学歴の罠の中で最後のオナニーをかましているという事実に気づいていない。悲惨だねえwwwwwwwwwwww。高学歴のどつぼにはまって恥ずかしいオナニーかましている暇があったらちゃんと勉強してせめて高学歴様の奴隷になれるように努力しろよwwwwwwwwwwwこのまま行くと奴隷以下の現実が待っているぜwwwwwwww
中国人観光客が、使用済みのトイレットペーパーを水に流さず、ゴミ箱に捨てていくそうな。
中国では紙の質がわるく、水洗便器を詰まらせてしまうので、紙は流さないのが常識なのだとか。
でも、それでは、糞便のついた紙がゴミ箱に残るので、非常に臭いだろう。
され、日本も昔はそうだったのだろうかという疑問がわきます。
物資不足で紙が買えなかった頃などは、どうしていたのだろう?
http://anond.hatelabo.jp/20100819014054
http://anond.hatelabo.jp/20100819174506
同意。ゴキブリに利用されているのが理解できてない無様な連中
別に批判とかするつもりはなく、普通に楽しみにして観てみたんだけど
たしかにサマーウォーズのどこが面白いのかはよくわかんなかった。テレビ用に大事な場面がカットしまくられてるの?それとも自分が花札のルールわからないから付いてけてないだけ?
何回読んでも怒りが収まらない。釣りであってくれ。
歌とかはなんとかわかる世代だけど、とりあえずなんでこれが主題歌なのかがわかんない。
今現在、俺は35歳
10年前、5年前を思い出すと、こうして日記などで何かを書こうとしていた時、自分が表現したいことがいくらでも湧きでてきていた。
それは、とるに足らないことだったけれど、なんにしても、何か情熱を持って書く事ができた。
今、こうして何かを書こうとすると、情熱がわかない。
この10年間、人一倍たくさんの経験をしてきていて、もっと何かを書くネタがあるのに。
年を取るごとに、情熱がどんどんまして行くタイプの人もいるとおもう。
俺の場合は、情熱がだんだんと少なくなっていっていることを感じる。
なんでかなあ。
プログラマーはプログラムを作るのが仕事であってキーボードをタイプするのが仕事じゃない。
だから、ブラインドタイプはできるけど、キーパンチのスピードは口述筆記などの仕事をするキーパンチャーほどは早くない。
そう言うのと同じで
経理のおばちゃんは、経理に対して誇りを持っているのであって、電卓叩くスピードを競っているわけじゃないと思うが?
ゲームの影響じゃないか?
まるで推協が強欲みたいだな
ヒント
当時問題視されていたもの ×図書館 ○図書館の『新刊』の『複本』
↓
その時、推協が動くしかなかった
PCが得意な人って、自分のスキルを安売りしすぎるんじゃないか?だから、トラブルがあったとき、助けてもらえる、わからないことがあったとき、教えてもらえるのが当然になって、たいして感謝もされなくなってしまう。
そのスキルは自分の武器なんだから、相手が困ろうが、業務効率性が落ちようが、見返りを計算して、いざってときの自分のために有効に使わなきゃいけないと思うんだ。酷いことを書いてるように見えるけど、正当な対価を得るためには必要なことだと思う。そういうのが大人になるってことじゃないか。
隣に座っていた2人の会話。
目がクリクリして口が大きくて表情筋がとてもありそうな可愛い雰囲気の2人。
「あともう少ししかないから少しでも沢山友達作りたいんだよね」
「私の友達紹介しようか」
「私もする!共通の友達いっぱい作ろう」
「友達増えるといいよね、応援でラグビーとかアメフト見に行ったり」
「私見た事ない面白いの?」
「すっごい面白いよ」
その時前を通りかかった幼女が2人の前に立って「かわいい」ってささやいて走り去っていく
「可愛かったねー、男の子にいわれるよりうれしい」
「ねー」
ここで眩しすぎて、隣から去りました。
こんな楽しげな青春あるんだな…。
酔っ払った母と素面の私の会話。
母「あんたなんか趣味とかある?」
私「ない。酒も呑めないし。」
母「趣味もなく酒も煙草も女もギャンブルもやらない人生なんてクソだわよね、クソ。
何が楽しくて生きてるのかしらねああいう人って。」(注:母はギャンブルだけは絶対しない)
私「・・・」
タイトルからすると、いかにも女の本性が云々…という文章ぽいがそうではないんだ。
ついこの間、好きな女から徹底的に振られて気付いた。
俺、女性が怖いわ。
正確には、女性を意識するとその女性のことが怖くて怖くて仕方無くなる。
好きになればなるほど逃げ出したくなる。
その女性が近づくと避ける、逃げる。
話してるときも目を合わせない。
多分、中学生くらいならこういう人も少なくないと思うんだ。
でも俺は29歳。もうすぐ三十路。
そういう女性には普通に接することができるし、何気ない世間話とかもできる。
でも、「好きだ」と意識しだすと途端に話せなくなる。
なまじ普段は普通に話せるだけに、当然相手からすると訳がわからないようで
興味が無くなったor変な奴と思われてる。
酔っ払った母と素面の私の会話。
私「実家も離れて年月立つし、親の葬式とかどうすりゃいいんだろ、今から不安だよ」
母「ガッツリ遺言書作ってあるからおk、応援も確保済み(注:母は50代)、私が死んだら残された人だけで勝手にやって」
私「・・・」
酔っ払った母と素面の私の会話。
母「もうさ、嫁にいけとかいわないから孫だけみせてくんない?」
私「相手がいない、産むにもそろそろ微妙なお年頃。」
母「種だけもらえばいいじゃない、孫を大学まで出す経済力はあるわよ」
私「・・・」
http://anond.hatelabo.jp/20100818231642
2004年に解決済み。今図書館に歯向かうような身の程知らず、恩知らずな作家はいない。
最初は2000年頃、新古書店問題に絡んで貸与権の問題が出て来た物。日本ペンクラブが書籍にも貸与権を認めるよう求めていた。
ところが、推理作家教会が図書館にまで難癖を付け始めた。2002年から2003年にかけて推理小説作家が大挙して図書館への抗議声明を発表する異常事態に陥った。
これを2004年の春に日本図書館協会が一喝。推理作家の主張に何らの法的根拠がない事を示し、図書館業務へのいわれなき誹謗中傷に手厳しく反論した。作家からの再反論はなく(論争が続くと思われたのに、拍子抜けだ!)、攻撃がぱたりとやんだ。
図書館は教育と文化の発展の為のアーカイヴとして存在するのであり、作家の生活の為にある物ではない。推理作家の要求は正当性のない物で、図書館業務の崇高な使命を理解せず、私利私欲の為に図書館の独立性を侵害しようとする試みだった。文化の火を護れるかのたたかいであったと言える。もっとも数々の圧力に晒されながら文化を護り通して来た図書館に負けは最初からなかった。