それは linguistic turn や
はっきり言う。俺はそのピーターパンシンドロームだ。一生大人になんかならなくていいと思ってる。
でもな。ピーターパンシンドロームが、来るべき人間の在り方を先取りしすぎた人間のことを特別な名前で分類しただけの概念だとしたらどうする?
大昔からあるというが、wikipediaには「1983年に提唱された」とあるんだが?バリバリ20世紀末、つまり人類がその豊かさを享受し始め自由であることを謳歌するようになったまさに20世紀に提唱された概念だぞ?
そこらへんもよく考えてみなきゃいかんと思うんだけどな。
自分で解決しようと思ってできるなら、野麦峠は起きていないと思うし・・・
昔は、自分で解決できない=死亡だったりしたわけじゃん。労災とかで。
そう考えると、今の、中高年と言うのは、偶然自分でなんとか出来て生き残った組。
だから、それを実力と勘違いして、今の若いヤツラはっていうけど、実際、自分たちがリストラされてなんとかなるのか?っていわれると・・・自殺したりしてるわけで。
まぁ、今の中高年や大人達が、自分で解決しようと思ってできてたのは、さらなる大人たちの力や偶然である可能性が高くて
今の 子どもたちが自分で解決しようと思ってできてないのは、要するに、大人たちが悪いってワケで・・・
怒ったりするのは筋違いなんだよね・・・
バイト先の飲み会でのこと、一つ上の先輩から正面切って「お前が嫌いだ」と言われた。
その先輩は、普段から口きかないほど仲が悪いわけではないのだけれど、確かに気の合う先輩でもなかった。自分からより良い関係を築こうと行動を起こすこともなかったので、そういう意味では言われても仕方ないなーと思う。だからそれほど衝撃的な告白だったわけではない。
自分も先輩もだいぶ酔っ払った状態だったし、まだこれから続くバイト生活を考えたりもして、その時は笑って対応できた。そうですかー、すいません、って謝りながら。そしたら先輩の方も笑っていたから、そこまではまぁ、自分も問題なかった。
で、今考えている話はその後。なんで嫌いなのかを説明され始めてからのこと。
曰く、後輩の中でお前は仕事できるかのように周りから思われてるけど実は違うんだと。むしろ能力ない方だと。人を隠れ蓑に上手く立ち回っているだけなんだと。
曰く、上手く立ち回っているように見せかけておきながら、その途切れ途切れにほつれが見えると。雑な部分があると。ところどころ引っかかる部分があるがゆえに嫌いなんだと。
だいたいこんな意味のことを言われた。
それにどう反応していいか分からなくて、とりあえず相づちを打っているうちに時間になり、そのまま解散。
うやむやのまま帰宅して、寝て、いまに至る。
特に気にする必要もないことなのかもしれない。ただこの先輩だけじゃなくて他にもそう考えてる人がいるかもしれないと思うと、バイト先での振舞いを変えないといけないのかな。
ちなみにさらに飛躍させれば、ベーシックインカムが全世界的に普及すれば永遠に子どものままでいることもおかしなことではなくなる。
そもそも大人という概念があまりに古臭く、社会変革の過渡期にある現代においては齟齬をきたしていると考えることだって出来る。
仕事をしなきゃならないのは生きるためであり、その概念があまりにも普及しすぎたがために、仕事をしていない人間は人間ではないというところまできてしまったが、今やっとそれが崩れようとしている。
大人というのが「仕事をして責任を果たしている存在」を意味するならば、BI普及で大人にならない選択肢も可能となるだろう。
大体大人とは何か?人間は子どもから大人になっているのではなくただ単に体が大きくなり性交渉をして子どもを産み育てることが出来る年齢に達しそれが過ぎれば老いて死ぬ、それだけだ。
むしろ、大人とは子どもを産み育て次世代に残すことの出来る存在を意味しているのか?(あるいは意味していた)だとすれば、結婚せずに生涯独身でいることをスタイルとして採用している人間は皆大人ではなく子どもってことになるよな?でもそれを非難する人間はあまりいないように思える。
モラトリアムが進んでいるというより、モラトリアムが終わらないようになってきてるっていう意見。個人的には。
だって、30代40代の人間がそういうアニメを普通に(普通って言い方も変だが)見てるんだぞ?
今の子どもはどんどん大人になる時期を遅らせているし、正直言って、永遠に大人にならないんじゃないかと思う。
今も昔も自分で解決しなきゃいけないのは変わらないって言うのは意見としては分かるが、精神的に病むっていうどうにもならない状況になって強制リタイヤする人が増えてるっていう状況を本当に理解してる?
つまり、自分で解決しようと思っても出来なくて挫折して、それでも自分で解決しなきゃって思ってるうちに病気になって、半ば無理やりそういった舞台から引きずり落とされるような事態が現実に起こってるってこと。
これはようするに、大人=やりたくないことをやらなきゃいけない存在であり、それを(無意識的に)拒絶する人間が大人の側に出てきたということじゃないか?と。
そして子ども、若者はブラック企業やパワハラ・いじめ・鬱病などのキーワードを通して大人になることを拒否し始めている。
萌えアニメにいくのは飛躍しすぎだっていうのは、単に間の状況を良く見ていないからだと思う。
つまり、社会の状況や気分がそこから生み出された文化に影響を与えるという構造が見えていれば別に飛躍でもなんでもない。萌えアニメという具体名で固定化するから飛躍に見えるかもしれない。アニメ、漫画、ラノベとかでいいや。そこまで抽象的にすれば俺の言いたいことが分かると思う。
http://b.hatena.ne.jp/hotentry/economicsとかhttp://b.hatena.ne.jp/hotentry/itとか
そういう趣旨でなかったらごめん
俺も同じような意見持っていたんだけど、改めて他人が同じこと言ってるの見たらなんか違うんじゃないかって気がした。
つまり、そういった分かってくれない奴らに立ち向かわなければいけない状況であったからこそガンダムみたいなのはリアリティがあったわけだろう。
今もそういった状況は続いていることは続いているけど、当時と全然違うのは「分かってくれない大人には自信がない」ってことだろう。
急激に社会が変わっていく中で、徐々にそのスピードについていけなくなった大人が、子どものことを「分からない」とか「理解出来ない」と表現するようになった。
これは、昔の、いわゆる頑なな大人たちが子どものことを「世間のことを何も分かってないガキ」と断言できたような状況とは全く違う。
そうすると、だんだん大人は立場が小さくなっていき、子どもは子どものやりたいことをやることが賞賛されるようになる。
すると、大人たちも、ブラック企業やパワハラなどの社会問題への注目度から分かるように、のびのび生きられない社会はおかしいと思い始める。(昔は根性で乗り切るのが当たり前)
その結果、いわゆる萌えアニメのような「自分にとって心地よいものしか存在しない世界」が許容され、争いのない「けいおん!」のような世界もいいんじゃね?と思い始める。
どれが良くてどれがダメと言ってるわけじゃない。そういう風に社会が変化したからこそ、文化の面にもそういった気分みたいなものが反映され始めているのではないかなと
一人は自分そのもの、もう一人は自分がネットゲームで知り合って、オフ会とかであった人。
あ、付き合うってのは男女の交わりじゃなくて男同士が単に飲み会とかで騒いでる風なやつなので。
自分がもう一人の前から失踪したのは、単純に生活環境の変化で、その人と遊ぶ時間がとれなくなってしまったから。ネットゲームもあまりやらなくなったし、ゲームでの交流に使われるIRCチャットシステムにもログインしなくなったから、もう連絡手段はケータイくらいしかなかった。
自分はネットでの関係はそれとして置いておいたので、自分の身を晒していても、実名や住所がわからないならすっと消えられるものだと思っていたし、実際何回かケータイに電話がかかってきたけど、それもとるのが億劫なほど忙しくなってしまったので、自分は彼の前から失踪したことになっているのだろう。ただ、忙しかっただけで、別に人生が大変で嫌になるということではなかった。
その人はゲーム内で割と付き合いの広いほうで、オフ会にも割と良く行くようであった。それでまあ、飲み会とかで自分らの話をするわけだけど、彼は会うたびに人生として危機的な状況に置かれているということを自覚しつつも、なんとかやっていくという感じだった。
最後に会った後、彼は付き合っていた彼女と結婚したー、というところまでは覚えていた。その後は自分の失踪によりよくわからなくなっていた。
それから相当時がたって先月、久しぶりに昔のことを思い出して、彼のSNSプロフィールを見てみた。
プロフィールが悲痛なものに。さらに、かなり前から日記が止まっている。いなくなってしまった。
実際は、自分がそうであったように、ゲームをやらなくなったから、こっち方面の関係はリセットをかけているだけなのかもしれない。ただそうであっても、実際に会った人の連絡が無くなって、どうなっているかわからないということが、これだけ心拍を上げることがわかって驚いた。
ゆるい関係、実際にいろんな助けができるかわからない関係、ハンドルネームで呼び合う関係でもこれなのだから。これからの人生で、もっと強い関係になったひとがこうなったらどうなるんだろうか。自分は平常を保っていられるだろうか。
こういうのに似た話は自分の記憶に会って、題材として増田に投げ込むには陳腐だなとは思うんだけど、情動に任せてしまったのでご容赦を。
http://anond.hatelabo.jp/20100606152401
「女と付き合う」ことだけが人生のすべてなら、それでいいんじゃないかな。デートする時間もないからうらやましいよ。会ってる間は、相手に誠実にね。
最近軽くパニック障害を起こして、結構な頻度で不安になったりする。
Twitterではそのことを隠して、まぁいつも通りくだらないこと書いたり、さも健康そうに日常の行動を書いたりしているのだけれど、さっきその自分の発言ログを見て、何故だか少し不安感が和らぐのを感じた。
「あれ、おれって元気に暮らせてね?」って感じに。
もちろん一種の錯覚なんだろうけど、文章という客観的な情報でこういう風に元気そうな自分が表現されているのを見るのって、割と治療効果があるのかも知れない。
一種の認知療法なのかな。
ジェネレーションギャップを描くと、テーマが深くなるのは間違いない。
でも、たいした意見も言えない幼児として描かれるキャラは、モブとしての役割しかない。
たとえばガンダムで言うとカツ・レツ・キッカは、物語上で重要な意見を主張してたか?
あれは、守るべき未来の象徴ってだけじゃないの?
だから、ガンダムを世代別にわけるなら、こうなると思う。
壮年層…ランバラル、マクベ、連邦上層部・ジオン上層部(ギレンとか)
女のカンの良さは異常。
浮気した日は「なんか様子が変だね」と言われる。
たぶん、俺がキョドってるからバレたんだろうけど、
あまりにも明確に見抜くから、あわてて盗聴器とか
あしたのジョー見てて思ったんだけど、最近のアニメって主人公より年下の「あんちゃんがんばれー」みたいな少年少女集団がいないよね。
ガンダムとかジョーとか90年代以前のアニメって大抵3世代が劇中に登場してて、大雑把に分けると
若年層…ガンダムで言うとカツ・レツ・キッカでジョーでいうとサチとかキノコのドヤ街少年少女。
青年層…ガンダムで言うとアムロと同年代、ジョーで言うとジョーと力石とかのボクサー。だいたいここらへんの年代が主人公。
壮年層…ガンダムで言うとブライト(アムロと年齢が近いけど立場上)・連邦上層部・ジオン上層部(ギレンとか)。ジョーで言うと段平とかホセとか。
で、青年層が壮年層の作った世界の仕組みとかに対立するんだけど、自分もその仕組みの中に既に組み込まれてるという矛盾で悩んで、
若年層との意見のギャップに「ああ、自分の考えも凝り固まったもので絶対的に正しいものではないんだなあ」と感じてしまうようなキャラの配置になってる気がする。
若年層がシンジたちチルドレンたちで、
壮年層がゲンドウとか冬月とかにあたる。
やっぱりこの3世代間は一緒にいるけど根本的な考えが違って、完璧にお互いを理解できないような感じになってると思う。
(アムロはよくシンジと対比されるけど、対比するならアムロとミサトじゃないか?立場的に)
年齢が近いならお互いの意見が違っていても考え方が似てるからある程度分かり合えるんだけど、世代が違うともう根本で分かり合えない。
でも世代交代は起こり続けるから主人公たちの意見も絶対的ではないし変わっていくもので、
やがては若い人たちから「古い考え」って言われるのを直接的なテーマではないにしろ、内包してると思う。
で、最近の萌えアニメを見てると主人公と同じ年代の同じ思考、価値観しかいないように見えるんだよ。
時々ヒロインの父親とか出るけど、基本的に主人公たちと同じ考え方で多少豪胆な程度。ウジウジしてる主人公に渇を入れたりする先輩役に過ぎない。
なんで大人は分かってくれないんだ!って衝突する役目じゃない。
逆らいたくても逆らえない、逆らっているうちに自分が若い連中から逆らわれる立場になっている(なっていく)っていう感じがない。
確かにそういう状態じゃないのは居心地が良くて、そもそも萌えアニメ見るときにはそういう世界の方が頭からっぽに出来るからいいんだけど。
分かり合えない、分かってくれない大人に圧迫される主人公とヒロイン、主人公たちの行動に曇りのない純粋な指摘をする子ども、
じゃあそういう状態で自分たちなりの答えを出していこう、って作品が見たい気もする。