別に厳密な定義なんて無いけどさ、まぁ要は生産技術じゃんそれ、って感じ。
最初はそんなもんじゃないかと思う。
男女逆晩をやらかした私が言う。
どちらにしても付き合い始めって以下略だから、
しばらく気を使う意味もそこはかとなくこめて距離を置くのも手だと思う。
時間が多分解決してくれると思う。
しんどいだろうけど、くいしばれ。
経済学科とか経営学科とかどうでもいいからさ、知っとけよ常識として。って感じ。
別にコンピュータ系だけじゃなく、半導体のエンジニアだろうが機械系だろうが同じだと思う。
関係ないけど、ソフトウェアエンジニアとかプログラマーとかが言う「技術」っていう言葉に凄い違和感を感じる。
下手したら単なる言語の使い方レベルの話を「技術」とか言ってたりする。今回用いた技術はC#です、みたいな。
全く正反対の意見でも、至極もっともらしく語る事が出来てしまうのはなぜだろう。
エライヒトが言う事なんて、自分の語りたいことに、事実だとか先入観だとか偏見だとかを寄せ集めてただ共感しやすくしているだけじゃないのか。
正反対だがどちらも正しそうな2つの意見があるとき、僕はどちらを選べばいいんだろう。
そのとき、僕はたいてい自分の感情から出てきた意見が正しいと思い、そしてそれに合うもっともらしい理由をこじつけたブログなんか読んで、「ああ、俺正しいじゃん」とかいって、ただ安心するだけだろう。
でも、自分はその自分の感情なんかも実は嫌いで、ホントは本当に正しいことを見つけたいんだ。
別に正しいことはただ一つって言いたいわけじゃない。「正しいことは一つじゃない、人それぞれだよ」なんて反論されたくはない。僕が言っているのは、正しそうな意見がたくさんあって、それぞれをもっともらしく思わせる理由も十分にある。その時に、なんで、そのお偉いさんがたくさんもののなかから一つの意見を選んで主張してるのかってことだ。
なぜそれを知りたいのかというと、僕は自分が何を語ればいいのか分からなくなってきているからだ。感情のままに語りたくない。何を知ればいい?報道?歴史?科学?統計?
自分は自分が知らないことが多すぎるのを知ったために、どうしていいのか分からなくなった。
知ることは大切だ。知らないことは罪だ。
あなたは、なぜ語るのですか。なぜその意見を語るのですか。
妻としては「勝手に物事を決めて進めるのが気に食わない」という事を言っていました。
妻の気持ち、理解してるじゃん。
同じ食卓についていたのであり、普通に話は聞こえているし
「あの件だったら僕の判断で処理ちゃいましたよ。だって、同じ班なんだから僕が電話してるの聞こえてたでしょ?」
って言ったら怒られるだろ?
元記事の文脈には政策として医療制度はどうあるべきかという議論はないよ、というのは確認したうえで。
その人のために保険料払いたいとは思わないけれども。医療制度としてはそういう事情は完璧スルーするしかないんでは。いちいちその人の日ごろの生活を確認するのもバカバカしいし、所詮いたちごっこだとおもう。経済の規制の問題と似てるんではないかな。
でも日本はどうもみんなの日ごろの健康への取り組みを管理しはじめてるよね(メタボのあれ)。ろくなことにならんとおもうけど。
自分の「お手伝い」は的外れで頓珍漢だということを自覚して、お手伝いをする際にはよく分かっている人(=妻)にお伺いを立てるようにしたら?
そりゃじーさんばーさんが増えすぎたのが原因だろう
あのさ、ブクマとか辿っていって読みたいなと思った増田が消えてることが時々あるじゃん。
InternetArchiveにも残ってなくって。
そういう場合に限ってタイトルがいいのが多いんだけどね。
まぁ別に増田に限ったことじゃないんだけど。ネット全体において。
社会的にヤバいこと書いて炎上したっていう場合は除いての話だけど、
なんで消しちゃうかなって思うわけ。
思い切っていいこと書いたつもりなのにブクマがゼロのときとかまぁ俺も時々消したくなる。恥ずかしくなってねw
だけど、残しておいたら数か月後あるブログで掘り起こしてくれて数百ブクマ以上付いたってことがある。
あと逆に意外にブクマがついちゃって何か消しちゃおうかなって思うときもある。
もう俺にとってこれは価値がないと思って。
でもさ、自分にとって価値がなくても、誰かにとって価値になりうる時があるから、できれば消さないでほしい。
そう思っている人がいるってことを覚えておいてほしいんだよね。
ネットに載せるってことはそういう可能性を秘めてるってことだから。
別にブクマなんて関係なく、それを読めてよかったと思う人がいるかもしれない。
you too me too.
最近、「保険の精神」ということばをちらほら聞くけど、言葉にコンセンサスがなくて混乱している気がする。
予測できないし起こる確率も高くない、でも起こったときのコストが高いリスクを、みんなでちょっとずつ負担する保険。その意味だと、たとえば高齢者の慢性的な医療費は保険ではないし、民間の保険会社が明らかにリスクの高い人を保険に加入させなかったり保険料を高く設定したりしたとしても合理的。
ただ、国が提供する「保険」は、生まれつきの健康面の不公平を均す役割を負ってもよいと思うし、それは前述の意味の保険ではないけれども、それも保険と呼んでしまってよいと思うけどね。
一言多い性格って言われない?
自民党って、変わったばっかりじゃんかよ。
そうだね、それで俺は、「その羨ましさは勘違いだと思うよ」って書いてるんだけど。