全く正反対の意見でも、至極もっともらしく語る事が出来てしまうのはなぜだろう。
エライヒトが言う事なんて、自分の語りたいことに、事実だとか先入観だとか偏見だとかを寄せ集めてただ共感しやすくしているだけじゃないのか。
正反対だがどちらも正しそうな2つの意見があるとき、僕はどちらを選べばいいんだろう。
そのとき、僕はたいてい自分の感情から出てきた意見が正しいと思い、そしてそれに合うもっともらしい理由をこじつけたブログなんか読んで、「ああ、俺正しいじゃん」とかいって、ただ安心するだけだろう。
でも、自分はその自分の感情なんかも実は嫌いで、ホントは本当に正しいことを見つけたいんだ。
別に正しいことはただ一つって言いたいわけじゃない。「正しいことは一つじゃない、人それぞれだよ」なんて反論されたくはない。僕が言っているのは、正しそうな意見がたくさんあって、それぞれをもっともらしく思わせる理由も十分にある。その時に、なんで、そのお偉いさんがたくさんもののなかから一つの意見を選んで主張してるのかってことだ。
なぜそれを知りたいのかというと、僕は自分が何を語ればいいのか分からなくなってきているからだ。感情のままに語りたくない。何を知ればいい?報道?歴史?科学?統計?
自分は自分が知らないことが多すぎるのを知ったために、どうしていいのか分からなくなった。
知ることは大切だ。知らないことは罪だ。
あなたは、なぜ語るのですか。なぜその意見を語るのですか。
で、なぜ増田は正しいことが欲しいのだ? それは例えばそばかうどんか迷っているとする。 そばをたべるべきもっともらしい理由とうどんを食べるべきもっともらしい理由で議論がはじ...