長々と書かずとも、勝間はhttp://www.hozen.org/bbs/40/37901/こんなもんだからな。
何故、貞操を重んじる(相手の貞操に拘る)男がヤリ捨てする男になるのかが解せませんね。
貞操を重んじ、ヤリ捨てや浮気を嫌うからこそ相手に貞操を求めるわけで。
「女はオレ達が2次元に恋するのを恐れてるんだ!」
と思える自信は、一体どこから出てくるんだろう…
一般の女が心配してるのは、過激なエロゲ(しかも対象が少女などの未成年)
勿論、良くも悪くもオタごときが三次元の少女にいたずらできる度胸が
あるとは思ってはいないけど
それは、同族である腐女子やオタからだから解る事なんだよ。
オタを知らない一般人から見れば
おぞましいに決まってるじゃないか。
狙う訳ないじゃないか。
MBA出身者が、経済の範疇を超えて力をふるった場合、ろくなことが起きないのは明白だ。
昨年末、自戒の書「資本主義はなぜ自壊したのか」をリリースした、中谷巌が(重みは違えど)似通ったパターンである。
中谷は小泉政権時代の新自由主義的社会設計を支えた張本人であるが、そもそもなぜ経済学徒が優先的に社会設計に与するのだ?
確かに経済は重要である。しかし、それだけでは社会は回らない。当たり前のことだ。社会設計を担う者は、経済だけでなく社会・倫理などを包括的に扱うことの出来る者でなければならない。さもなくば我々は、再び大きく道を誤るだろう。
勝間和代はたしかにMBAの論理思考を用いて、経済問題や、社会問題について数々の考察をしてはいるが、その内容には、明らかに社会的、倫理的、文化的な蓄積が欠落している。
当人は、その欠落も、統一した論理操作で埋められると考えているようだが、果たしてうまく行くだろうか。
それは、社会がこれまで蓄積してきた膨大な経験知や、歴史的見取り図をろくに参照せず、無理矢理身近な問題からのみを出発点として思考する、とても遠回りで愚かな行為に過ぎない。
もちろん、身近な問題から出発すること自体は間違っておらず、多くの人々を勇気づけることはできるだろう。その点では異論がない。少しずつではあるが、確かに問題の核に近づくことは出来るからだ。
社会におけるトライアンドエラーと再構築は、確実に膨大な損失を生む。意志決定とその遂行の速度には限界があり、軌道修正するにしてもコストが大きすぎる。
これがもし会社であったならば、経営者の愚かさは会計上の損失として計上され、再帰的な新戦略の再構築に向かうことが出来る。しかし社会は会社ではない。どれだけ不可逆な損失が存在するか、考えただけで恐ろしい。
ちなみに中谷の場合は、社会はほぼすべて自由競争にしてしまえば、見えざる手がもっとも良い社会を作るという思考停止によって、社会無設計を実現した。まあこの状況では、さすがにそれを追従することはないだろう。
しかし、間違いがないのは、社会は目に見える範囲での利益追求的な思考だけでは妥当な結論は導き出せない、ということだ。仮に広範囲での幸福度についての尺度を設けたとしても、経済価値最大化と同様の論理操作で、果たして社会問題が解決するだろうか。
つまり、問題範囲に漏れがあったら、結論は間違いを必ず含むということ。そして、問題範囲に漏れがないということを保証することが出来ないということだ。
人間は、社会の問題をMECEよろしく漏れなく記述できるだろうか。
そしてそれに対して、妥当な結論を、実験無しに導くことが出来るだろうか。
私には、政策強行の結果、部分最適化の小さな効果のみを取り上げ、その責任をやり過ごす姿しか見えてこない。
万が一、勝間和代が国政に関わることとなった場合、ベテランは人気取り以上の役割を与えないよう細心の注意が必要だ。
まあ、それは麻生で懲りているだろうから、起きないとは思うが、変にいろんな委員会などで、MBA的ディベートを展開された場合、無力化する作業は非常にめんどくさいことになるだろう。
もし音沙汰無ければ、私こそが過大評価者だなw まあそれが一番良い。
陵辱物プレイするのがライフワークの俺は絶望するしかないあqwsでrftgyふじこl!!と思っていたわけだよ。
だけどね、もう鬼畜とか陵辱とかいいの。三次元の彼女ができたお陰で。
あれは去年の夏コミが終わった後。
俺は絵の才能もないし、ゲームも作れないから、友達のサークルの売り子のバイトしてたんだよ。
その打ち上げで、知り合いのサークルのおにゃのこ紹介してもらって、詳細ははしょるけど付き合えることになったんだ。
彼女は腐女子で俺がエロゲーやっていても文句言わないし(むしろプレイしたりもする)、俺も彼女の腐趣味を気にしない。セックスのときはMっぽくて萌えたし、まさに最高のカップルだと思ったね。
で、そのうち彼女が衝撃の告白をしてきた。
「増田くんはかなりの鬼畜ゲーマニアだから、OKだよね・・・・?」
って。
彼女ものすっごく言いにくそうだから、ちょうどプレイしていた魔法少女えれなの画面を指して、
「ももも、もしかしてこういうプレイしたいの?き、傷とか付いちゃうかもよ?」(てか、俺は触手出したり出来ませんが)
って聞いたんだよ。
そうしたら彼女、
なんと、
生き物苦手板の住人でした。
動物虐待やどうやって殺すかの話を嬉々として語る彼女。正に鬼畜とはこういうヤツのためにある言葉なんだな・・・
野良猫を見かけたときに
「こういうの見かけたら、いじめたいと思う?」
と恐る恐る聞いた事がある。
「はぁ?エロゲーオタなのに二次元と三次元の区別も付かないの?そりゃーイラつくしやっちゃいたいけど、三次のやるわけ無いじゃん。犯罪だし」
と言われた。
色々話し合ったけど、やっぱり彼女とはこれ以上続けられないと思って先月別れました。俺、ヘンな夢見たり嘔吐とかするようになっちゃったし。
彼女の腐本見たとき、ラブラブ系だったので全然分からなかったYO....
そんなわけで俺は、真の鬼畜彼女のお陰で、大好きだった陵辱エロゲーにすら拒否反応が出るようになり、無事(?)陵辱ゲーを卒業できました。
エロゲーごときで鬼畜陵辱とか言っていてスイマセンでした・・・・
最後に陵辱ゲーやっているヤツはたいして鬼畜じゃないと思うよ。
気持ち悪いけど、あまり虐めないでやってくれよ!
母の知り合いの旦那さんが亡くなった。
長い間病と戦っての死だった。
驚いたのは、その旦那さんが近所付き合いなんかしなくてもいいと奥さんに言っていて、三年ほど近所付き合いはしていないということと、旦那さんの兄弟とは縁を切ってるということだ。
仲良くやっていけばいいのに、なんでそういうことをしてしまうのか、とても勿体ないというか、残念に思った。
この件でエントリを起こそうと思ったら、元増田がちょうどいい話題で書いて下さっていたので、ぶら下げさせてもらいます。
オナニーはしないといけないってのに。
まさにこの点が重要なんでしょう。
せっかく、性的欲求に駆り立てられる性質をもっているのに、そこで手軽に2次元で済ませる習慣を選択する男性が少なからずいると、
と、女性総体的にも行政的にもよろしくない状況になる(と言うか、もう既になっている)ので、それを解決する為に、
男性が市場から離脱するルートを1つ閉鎖しようという思惑なのではないかと。
つまり、2次元に逃げるという選択をさせないこと=愚行権の制限を狙いとしているということでは無いだろうかと考えています。
しかし、マッチングが成立しない責任の一部は明らかに女性側が負うべきものだと、おそらく世の男性はこぞって思っているだろうと思われるので、
女性の相場だけつり上げようというのは不公平感がどうしたってある筈。
別に2次元エロ媒体禁止されても痛くないけど・・・、という人は、女性による高望みの禁止とか過剰なむだ遣いの禁止を提案すれば良いのではないかと思います。行政との利害の一致は期待できるので、通るかも・・。
なお、僕自身は3次元エロ苦手な野郎であり、禁止されると結構ツライのですが、社会情勢を踏まえると現状は継続的には容認されえない状態だと捉えてます。
http://anond.hatelabo.jp/20090624085658
たとえイケメンであっても、処女厨や、30女を「出がらし」と思っていることが判明すると、女から一気に引かれるよ。
「ただしイケメンに限る」などというのは非モテの自己正当化であって、実際の女は、男を総合点で判断する。
なぜなら、女にとっては、「ヤリ捨てする男」は絶対に避けなければならないから。
妊娠というリスクを負う以上、セックスのその後に責任を持てない男は、たとえどんなにイケメンであっても避けられる。
だから、いくらイケメンでも、致命的な欠点があれば、総合点でマイナスということになる。
逆に、顔は大したこと無くても、他の部分がプラスなら、総合点でイケメンより高得点を取れる可能性は十分にある。
顔など、どこか一箇所飛び抜けて良い所があれば他は全部大目に見てもらえると思うのは、子種をばら撒く男の発想。
もっと厳密に言うと、子種を撒いた後のことを考えない男の発想。
同じ男でも、女と長く付き合って生活を共にしていくことを考える男なら、「やっぱ顔だけじゃあな」という考えになるはずだと思うのだが。
「ただしイケメンに限る」とか言ってる非モテは、実際は顔だけじゃなくて、それ以外の部分も悪くて総合点がマイナスになっているからモテないだけだし、「イケメンなら何やっても許される」と考えるのは、子種を撒いた後のことを考えない人間の発想で、その発想自体が致命的だからモテないだけ。
もうずっと、音楽のことしか考えていない。
結婚して、子供が1歳半になり、この頃になればきっと「父親としての自覚」みたいなものが頭の中を支配しているんだとばかり思っていた。
ところがどっこい。
結婚しても、子供が1歳半になろうとも、あたまの中はずっと音楽のことを考えている。
片道14kmの仕事への行き帰り。嫁のウマイ飯を囲む食卓。息子と遊ぶ日曜日。
何をしてても、僕の音楽が頭のどこかに必ず居る。そして、日を追う毎に増えていく。今も、僕の音楽は頭の中でリアルになっていく。
勝手に父親になるもんだと思ってた。受け入れられるもんだと思ってた。少しずつでも「家庭」が頭を支配していくんだと思っていた。どうやらそうじゃないらしい。
家庭に不満など一つもない。きっと、誰もが幸せだと言うだろう。羨む人もいるかもしれない。
でも、いつまでたっても「家庭のために時間を使う喜び」などない。死ぬまでずっと?冗談じゃない。
きっと、僕はそういう風には出来ていなかったんだろう。血は繋いだから、もう良いかなとも思う。
帰ったら話をしなくちゃ。
バカそうな文面といい自分の意見が絶対正しいと信じ込んでる可愛げのなさといい、
釣りだとしたらすごいな。本物だったらもうちょっとバカを自覚したほうがいいな
よくわからん。
よくあるw
落ち着かないときは,とりあえずご飯とお風呂だ。
なんか生きていくのって大変だね