「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」を観に行った。2007/9/7金曜日歌舞伎町ミラノ1。仕事帰りだった。18:00に劇場に到着してチケットを購入し、そのままホワイエに通された。カウンターでパンフレットを購入してその後、モスでモスバーガーセットを購入。オレンジジュースを飲みながら時間を潰した。17:00の公演を逃して、次は19:15。公開時間まではあと1時間近くある。買ったパンフレットを眺めながら、まだ残暑の厳しい外に比べてエアコンディショニングされた劇場のホワイエで、ふと周りを見渡してみる。
そこに居たのは全く自分と同じ人々。年齢は20代後半から30代にかけて。それ程多くない。男女比率は同率程度。
10年前、僕は同じ劇場でエヴァ劇場版のAirを観た。それは高校時代後半の全てだったエヴァの最後を見届ける為、同時代のグルーヴ感を感じる為だったと思う。深夜、TV局が行列に並んでいる人に取材している姿を横目に見て僕は「お前らには絶対にわからねぇよ」なんて悪態をついていた。
あれから10年が経ち、僕はまた「ヱヴァ」を観に来ている。庵野秀明が全身全霊をかけて、僕達に叫んだ「お前ら、こんなもの観てるんじゃねぇ!」という叫びも虚しく僕は今、ここにいる。それは自分が選んだ道だけど、それでもスーツを着てここに並んでいる自分の姿は、傍から見て、とても滑稽だろう。
僕は携帯を取り出してさっき彼女から貰ったメールの返信を打つ。「大好きなのに・・・」と始まる彼女のメールを見て、お昼過ぎの痴話喧嘩を思い出す。二人はとても仲が良くてお互いがお互いの事を最も大切に思っているから、ちょっとした事で喧嘩をする。それは自分の気持ちが相手に上手く伝わらないジレンマのようなものだ。メールには友人と飲みに行くと書いてある。僕は「さっきはごめん。今日はゆっくり楽しんできてね」と携帯の単語予測から選択して手早くメールを作成し、彼女に送信した。
携帯の電源を落として改めてさっき並び始めた列の後ろを眺める。長蛇の列は劇場脇にある入口からホワイエまで続いている。優に40m近くはある。それが劇場両脇にあると思えば大した人数である事が予想される。
「何故僕は今、ヱヴァを観るのか。」
この問いはここに来る前からずっと僕の頭の中でループしている。その答えはきっと庵野秀明によってフィルムで示される筈である。でもそれ程多くは期待していない。何より僕は当時に比べて歳を取ったし人生経験も積んだ。離婚も経験した。それは僕の心に大きく影響して、僕の中から少しづつ童心の純粋さは失われていった。それを肌で感じていた。僕は十分に大人だ。それも随分腐った大人になっていた。当時とは違う。そんな事を考えながら立ち続ける。
凡そ40分後、劇場のドアは開けられた。中は比較的広く清潔だ。多分リニューアルしたのだろう。10年前とは違っていた。僕は中央付近の良い席を取る事ができた。席に荷物を置いてビールとポップコーンを買いに行く。ビールを飲む辺りに親父臭さを感じる。
席に戻ってポップコーンを摘みながらビールを飲む。果してどんな作品を観る事ができるのか。僕はとても楽しみに、少しの絶望を抱えながら、それでも楽しみにしていた。GAINAXの「トップをねらえ!2」に絶望し、「グレンラガン」に次世代性を読取った僕が、庵野秀明の最先端に触れられる瞬間である。時代を築いた映像作家の最新作。否が応にも期待が膨らむ。僕の前に「ヱヴァ」はどんな姿で現れるのか。ネット等で事前知識を何も仕込まずに観に来たのは、それが一番純粋に作品に触れられる方法と考えたからだ。僕はやっぱり何かが変わる事を期待していた。庵野秀明が何かを変えてくれることを期待していた。
映画は静かに始まって、劇的に幕を閉じた。
興奮する観客の中で一人僕はうっすらと涙を浮かべていた。それは感動の涙である。「ヱヴァ」は「エヴァ」ではなかった。それは全く同じキャラクターと世界観で描かれた純粋な二次創作物だった。「エヴァ」で面白かったと思われるエピソードを凝縮し、解像度を上げ、劇場作品として耐えられるクオリティにまでベースアップして新しく作られた「エヴァ」だった。「ヱヴァ」は「エヴァ」ではない。それは様々なガジェットで示されている。「エヴァ」が「ヱヴァ」としてリメイクされた理由、それは庵野秀明が「閉塞した時代」に風穴を空けようとした、という一点に収束する。「エヴァ」が批評的であり、文学的であり、映像芸術的であったことに比べて「ヱヴァ」は極めてアニメ的だった。それは「時をかける少女」が極めてアニメ的手法によってそれまでのアニメーション作品には無い全く新しい映像表現を目指した事とシンクロしつつも少しずれた感性である。
アニメ外の人間だった庵野秀明がアニメ内に入りエヴァで再びアニメ外に出て行ってしまった、しかし10年の時を経て再びアニメ内に戻ってきた。この波は彼が「ナディア」から「エヴァ」に到る際に経た道程と同じではないか?「ナディア」を撮って、もうアニメは撮れないと言っていた庵野が再びフィルムを撮ろうとした、あの「エヴァ」に到る道程と酷似してはいないか。
表現者・庵野秀明の本気は恐ろしい。彼の本気は時代を動かす。「ヱヴァ」は庵野秀明の憂さ晴らしでは終わらない。彼は再びアニメーションという表現を信じる事ができた。彼は再び物語が持つ強度を信じた。その事が僕にはとても嬉しかった。彼が10年前に三行半を突きつけたアニメーションを、どんなに蔑まれてもずっと追い駆けてきた僕は、そこに一筋の光明を見る事ができた。庵野秀明が再び信じたアニメーションという表現手法。それは日本が世界と鎖国し独自の文化として大切に育ててきた集団芸術、総合芸術である。宗教に並びうる文化的発明と言い切ってしまっても構わない。
アニメーションには未来がある。SFは子供たちに夢を届ける。ぼくらはそのファンクションを十分に生かして自らの人生を豊かにしなければならない。次世代へ繋ぐ夢を語り続けなければならない。素晴らしい芸術作品を創作し続けなければならない。素晴らしい芸術作品の下僕として作品に仕えなければならない。
ピラミッドが何故素晴らしいのか?万里の長城が何故人々に感動を与えるのか、東大寺の大仏や金剛力士像が何故現代でも価値を持ち続けているのか。その事について僕達は自覚的にならなければならない。ゴシックの大聖堂が持つ光と影が作り出すドレープの豊かさ、そういった表現が何故我々の心に届くのか。全てはたった一つの事に気づく事で理解できる。芸術とはそういうものだ。
「ヱヴァ」はその意味で十分に芸術作品足りうる。つまり「エヴァ」とは違った芸術的価値を持つ作品である。
「ヱヴァ」を観て涙を流した僕が思った事。それは「庵野秀明の帰還」と、「エヴァ」ではない全く素晴らしい作品の誕生の瞬間に立ち会えた事である。世界はまだまだ素晴らしい出来事で溢れている。
あると仰るなら、後学のために例を挙げていただきたく
日本人の感覚(センス)だと作れない(そうは作らない)ということでしょうか
普通にあるだろそんなの。
現状、週に何十本というアニメがTV放映され、月に何十本というアニメDVDがリリースされているわけだが、そのうちの何本を見て語っているのかが疑問だ。
「いいからもう帰ってこい」
http://anond.hatelabo.jp/20070909045644
心が青いとかいて「情け」と読む。
友情、愛情。
☆ゴミの通院日記☆:波浪注意報 - livedoor Blog(ブログ)
人の為とかいて「偽」と読む。
人に青いとかいて「情け」と読む。
人偏の言葉には今後注意したいなと思った春の夕方。
「大事な友達」とか言える人に限って、私のことはどうでもよさげ。
ダイジナオトモダチだったら目の前でやったことくらいのこと覚えてくれ。
ダイジナオトモダチだったら他人に私のことべらべら話さないでくれ。
私はあんたのことなんて知らない、お前が男とどうなろうが
しったこっちゃない。言いたいのに、いえない。
私へのメールは日記じゃないのです。うざいからやめてくれない?
泣きながら電話するのやめてくれない?
そうやってなにかが降り積もって、今日も明日も明後日も、昨日も
おき場所のないぐしゃぐしゃな気持ちで目眩がする。
いやもうほんとはしてるんですけどね
他にもあったら教えて下さい。
要するにZUN氏が全部に音楽CD付けさせようとするから、どこの出版社も敬遠してるんじゃないのかなぁ
今のところそんな冒険してるの一迅社ぐらいだし(角川のはなんか失敗してる気が)
なんて事を思いついたのは「東方文花帖」がアンソロジーという事を知ってから。
正直値段的にアンソロってレベルでもないし、何より大半の原稿はZUN氏が書いている
値段が高めな理由は、付属のCDにあった。CDに収録されているのはゲーム版「東方文花帖」(体験版)とBGM音楽。
とりあえず、なんにでも音楽付けたがるのはZUN氏の趣味らしくて、同じ一迅社から出てる「東方求聞史紀」にもCDがついている
とらのあなの東方アンソロジー企画でも自作のBGM音楽CDをつけさせたらしい
今は絶版の松倉ねむ版「三月精」単行本にもCD付いてたみたいだし(単なるページ水増しのための策だったのかもしれんが)
「東方香霖堂」は「単行本になるまで後何年かかるんだ?」と言いたくなるくらい少ない分量のものなので、単行本化するなら確実に水増しのCDがついてくる。
というわけで、現在COMIC REXで連載中の「東方儚月抄」が単行本化したら、これまでと同じようにCDが付く事は間違いない。そしてお値段高め。お値段異常
まさか、うどんげっしょうの方にまでCD付けるとは言いますまい。んなこと言い出したら、さすがにどういう神経してんのかと疑いたくなる
それ私もあった。
いつも痛いんじゃなくて主に夜寝る前の数時間、週に2,3回とか季節・時間問わず。
最後に痛みを感じたのは二十歳になった頃だったかな。
23歳の今は全く感じない。
そうそう。ズキズキとかチクチクとか、そういう風に形容できる痛みじゃないんだよね。
ひたすら不快な痛さ。
膝のあたりとか太もものあたりで、局所的ではなく広範囲に痛い。
私の場合は風呂に入って全身を暖めると楽になった。
うち父が医者なんだけど、成長痛として気にされることもなく、
大人になったら痛くなくなるよと言われてたな。
現に無事大人になって身長の伸びが止まるのと同時期に成長痛もなくなったわけだけど。
気になるなら整形外科を受診してみては。
小学生くらいの頃から、1ヶ月に2,3回くらいの間隔で膝??太もも??腰が痛くなる。ズキズキ、とかチクチクとかではなくて、だる痛い感じ。これが気持ち悪いというか不快な痛みで、鎮痛剤もまったく聞かず、足を切り落としてしまいたくなるくらいしんどい。大体夜寝るときに起こることが多いのだけど、酷い時は延々誰かにさすってもらって(母上ずっとありがとうございます)眠れるのを待つか、ひたすら爪をたてたり足を殴ったりしてその痛みでだる痛いのをごまかすしかない。
これをずっと私は成長痛だと信じてきた。小学校??中学校??高校、と成長するのに合わせて頻度がどんどん落ちていったのもあって全く成長のための痛みであるということを疑ってなかったのだ。大学の頃はそれこそ2,3ヶ月に1回くらいかるいものが起きるくらいだったし。
ところが最近、1ヶ月に1回くらいの頻度で症状が起きる。もう23才。正直成長するような年でもない。それが身長が伸びるわけでもないのに、ひどい症状がたびたび出てる。昔は夜に出ることがほとんどだったのに最近は真昼間でも平気で出る。仕事中なんかだと、痛いわけじゃなくてとにかく足が気持ち悪くて、だるくて、やっぱり痛くて、思考力が完全に底をついて全く仕事にならない。
どうにかならないものなのか。
正直涙が出そうになるくらい不快な痛みなのに、はっきりと"痛い"わけでもなく、外傷があるわけでもないので、体調不良の説明がしづらい。
何か悪い病気でなければいいなあ。というか、同じような症状が出る人いないのかな?
一万年と二千年前からあいしてるうううううううううううううううううううううう!
無断リンクしてくれるな、と感じているユーザーが居るという事実。
それを理解せずして語られた事は結局のところただの独り善がりであって、
どこにでも転がっている幼稚な嫌がらせに過ぎないのだという事を、彼等は自覚しているのだろうか・・・?
いやほんと、http://www.google.co.jp/search?q=otsune とか感心する。
マジレスしとくと、どっかのアニメスタジオのネト管サバ管で、アニメとDTPとMacとperlに詳しく、新サービスにotsuneアカウントをとるのが趣味な人です。
と、書いておくと本人が降臨するかも知れません。
http://anond.hatelabo.jp/20070908050904
確かに小学生の頃って遊びたい盛りだしね。
http://anond.hatelabo.jp/20070908113152
俺にはユーモアのセンスがないんだ……でも頑張ってみるよ。興味を持ちそうな話題を探してみる。
成績は普通なんだよなー。普通すぎる。だから学校ではそれなりにやっていけるけど受験となるとちょっと厳しいかな、と。
でも俺は親の考えを変えることは出来ないし、これが切欠で勉強が大嫌いになる、ってのは一番避けたい。なんていうか、俺はどうせ出来ないんだ、って考えだけは持って欲しくない。なんか一個でも取っ掛かりがあれば違うんだろうけどな。算数ってどうすれば興味持てるようになるんだろ。