2024-01-25

ラッダイト運動が失敗した世界線

ラッダイト運動が失敗した世界では人はどのように暮らしているのだろうかと考えることがある。

資本主義暴走を止めたと称賛されるが、もしあのときラッダイト運動が失敗していれば人類さらなる繁栄を手にしていたのではないかと思う。

もちろん、非人間的な労働による生産性の向上は労働者(=消費者)の消耗とセットなので結果的経済は委縮する、

あるいは資本家増長で富が偏在し国民経済格差によって社会不安定になりどのみち経済破綻する、という理屈は分かる。

でも逆にうまいことバランスが取れれば、生産技術の開発が政府コントロールされない世界の方がよりダイナミックに社会進歩すると思うんだよな。

わざわざ社会をそんなディストピアにするほど人類間抜けじゃないと言われるかもしれないけど。

例えば、歴史上、優生思想を害のある思想だと思っていた人が居たけど、そういう人たちの考えが主流になるまで蔓延した世界だったら、

今みたいに国によって遺伝的に優れた人間だけしか子孫を残せないよう管理された社会だって現実的ディストピアと呼ばれるんじゃないか

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