保護犬譲渡の話が話題になってたけど、これ経済活動と思うと難しくてな
https://togetter.com/li/1889903
例えば需要が100、供給が100、供給のための単価が100円だったとすると、需給に変化がないなら100作って100円でそれを売って、全部で10000円の市場として安定している
でも、思ったように供給ができない事態とか、急な需要増や、販売の拡大なんかを目指して利益を上げていこうとか思うと、供給側は常に需要より少し多く作らないといけない
そうすると供給コストが10300円になるので、需要100への販売単価は103円になる
値上がり分で需要が減るのを見越すなら105円で販売して購入者は99なら、売り上げは10395円になるので、実際はこんなもんだろう
そうすると、経済活動する分には誰も困らなくて、需要側も手に入るし、急な需要変動や供給変動にも市場が乱れることもなくなる
とても便利で誰にとってもいい方向なんだけど、ただ、商品は4余るようになる
これがただのモノなら、SDGsとか物を大切にしなきゃとか、資源がとかいう面からはよくないかもしれないけど、でも別に誰も損しないし利便性もある
なので、保護活動というのは、経済活動から必ず生じるこの需給のギャップの4匹について引き取る活動じゃないと意味がない
つまり、「犬なんかいらないんだけど、余ってるなら面倒見てやってもいい」でしか価値がない
「犬は飼いたいと思ってるんだけど、保護に貢献したいから保護犬から」という思考だと、本来の需要が保護犬にシフトしているだけになる
そうなると需要はあるのに正規のペットショップから売れなくなるので、販売者側は保護犬としての販売方法に舵を切るしかなくなる
だから告発漫画みたいな「保護犬譲渡の皮をかぶった経済活動としての供給」をせざるを得なくなる
だから、そういう悪質?と言われてしまってる保護犬譲渡団体がなぜあるかって、正しい需要なのにペットショップから買わないからある
つまり、いらないんだけど庭が広いから、別にええで、みたいな感じじゃないと意味ないんだよなーと思う
でも、そんな人なんてたくさんいるわけもないので、本当に殺処分のない世界を目指したいのなら、ペットの流通、ペットを使った経済活動を全て否定しなきゃいけなくなるわねー
そこまでせずに法でしばるなら、常に需要より少ない数の生産しかできなくなって、経済活動としては旨味は消え去るでしょう
あー犬手に入ったんだ、いいなあ、みたいな社会
まあ、それはそれでいいかなと思うが
命を大切にするには、最初から生まれて来ないようにするのが一番だからな それが反出生主義 人間に限らない
殺処分とか不幸な犬ゼロを目指すと最終的には反出生主義というか、そもそも犬を増やさない方がいいってことになるよね 個人的にはかわいそうな犬は経済活動上なくせない以上、幸せ...