2022-01-02

反差別反貧困はなぜ両立できないのか

この10年くらいずっと感じているのは、反差別反貧困は非常に相性が悪い、もしくはジレンマ関係にあるということ。自分用にメモ


差別に憤り、差別解消に強い関心のある人たちは、「男性」「日本人」を「強者」「既得権益者」と位置付ける。そのため必然的に、「男性」「日本人」の中にいる貧困社会的排除引きこもりなど)に対する関心や同情心は、相対的に弱くなってしまう。そうした問題は大したことではないと言っているわけではもちろんないが、怒りの熱量差別問題とは開きがあることは否定できない。そのため、反差別社会運動が盛り上がり、人々の関心や視線がそちらのほうに向けば向くほど、反貧困相対的に関心が弱まってしまう。


反差別運動は、差別解消の手段として競争的業績主義には基本的肯定的である反差別運動が推進してきたアファーマーティアクションは、まさに機会平等保証競争的業績主義の徹底化を目指すものであるしか競争的業績主義は、他方では経済格差正当化貧困自己責任論などの言説を生み出す源にもなっている。なので反差別運動が盛り上がるほど、業績主義がもたらす格差貧困への問題意識は弱まってしまうことになる。


サンデーモーニング』に出演している安田菜津紀というジャーナリストをご存知だろうか。良心的な反差別運動の人で、非常に尊敬できる人だと思っているが、兄を過労で亡くすという不幸を経験しているにも関わらず、最近反差別への熱量に比べて、労働問題への言及が非常に少なくなっていることが気になっている。この事実象徴的されているのは、差別問題への怒りや関心が強くなるほど、労働貧困問題一般への関心が相対的に弱まってしまうという構造があることである


逆に、反貧困労働運動の側が差別に対する関心があるのかと言えば、はっきり言って弱いと言わざるを得ない。反貧困労働運動最前線にいる人のほとんどが暑苦しいほど「男性日本人であることにも、それは象徴されている。

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