2015-12-03

美濃加茂市ポスター批判されているのは肌色割合のせいではない

すべてはコンテキスト文脈)の問題である

肌色割合問題なのだったら、世の中にあふれる3次元水着グラビアも同じように批判しなければならない。

(もちろんそれも環境セクハラという問題はあるのだが今は置いておく)

そちらは批判されずに、美濃加茂市ポスター批判されているのはなぜか。

アニメオタク差別されている」からではない。

文脈が足らないのだ。

たとえば、肌色割合が最大に近いと思われる力士はなぜ受け入れられているのか。なぜハレンチとならないのか。

長い間、日本人はそれを見慣れ、文化として受け入れているからだ。

裸婦画・裸婦像などが受け入れられているのも、ハイカルチャーとしての地位確立しているからだ。

3次元水着グラビアが受け入れられているのも、世の中にあふれることで日本人が慣れてしまたからだ。

一方、アニメはまだ市民権を獲得しつつある途上といったところだろう。

ネットではアニメファンの声が大きいので、自分たち世界の中心のように感じるだろうが、一般から見ると中心ではない。

世の中の人は、アニメファンが思っている以上にアニメのことを知らないのだ。

そんな中、きわどい表現ポスターを作ってしまった。

確信的に作っているのであれば、文脈をしっかり構築できただろうに、そこを怠っていたこともあり、

公共にそぐわない異質なものとして批判をあびてしまった。

たとえば、このポスター峰不二子なら、長年の実績(?)から、「峰不二子はそういうキャラ」と知っている人が多いので、文脈も伝わり、かろうじて受け入れられたかもしれない。

のうりん」のキャラはまだ知名度がなさすぎた。

もちろん知名度を上げるためのコラボでもあるのだろうが、それにしては悪手と言えるだろう。

たとえば、大人の男性しか見ないウッフンなフリーペーパーに載せるのであれば批判も出なかっただろうし、

お酒のラベル(これは大人しか利用しないため)であったらよかったのだろう。

商店街のチラシとしてはとがりすぎていた。

例えるなら、朝の情報番組にいきなり水着女性が出てくるようなものだ。

深夜の番組ならまだいいだろうし、海なら問題ない。

あの姿であることを受けいられる文脈がなかった。

それだけの問題だ。

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