子をもうけるか否かに関する議論を見ていると、不要派が「周囲からの圧力」を不自然なまでに巨大で苛酷なものとして受け止めていることに、違和感をおぼえる。
子ありという既成事実をもつ立場から言わせてもらうと、不要派に対しては別に何の関心も感情もない。
一方、自分自身は自然な流れでそうなっただけで、当時も今も特に強い信念があってこうなったわけではない。
我々も生物であるからには、結婚して子を成すのは生老病死の一部みたいなもんで、そこに思想も信念も何もないと思う。
多くの子ありは、この程度の考えで人生の流れに乗っているだけではないだろうか。
裏を返せば、子を成さずに生きて行こうと思ったら、あのくらいしつこく理論武装して、強く念じて、虐待に耐えても頑張っていると思い込まないと、自分に言い訳が立たないのかもしれない。
こういう傾向は、少子化が進み始めてから特に顕著な気がする。自分が子を成さなくても誰かが成してくれるという回避的思考ができなくなったせいだろう。
子どもがいれば、そういう自責の念から完全にフリーなことは確かで、そこは得といえば得かもしれない。
でも、だからといって子なしの怨嗟を受け止める筋合いはないと思う。
「不自然なまでに巨大で苛酷なもの」? はてなブックマーク - 子供は人生で一番高い買い物だと思う seamulg 子供作らずに自由で居たいって事は老後は「誰かの子供」の世話になるつも...