さよならだけが人生という言葉が正しければ、人付き合いとは過程なのだ。恋愛はそうだ、友情もそうだ。結婚は節目でしかなく、結果は別れしかない。節目を迎えるということは、その後のいくばくかを共に過ごせることの心許ない保証にすぎない。僕らは節目と節目のあいだの連綿と続く過程を過ごすためにただ存在する。過程は目的であり同時に手段でもある。結局僕らにはそれしかない。それをよくするために僕らは生きているし、そういうふうにしか生きることができない。
何かのため、例えば世界平和や他人のために生きるか、自分の快楽のために生きるかなどは趣味嗜好にしか過ぎず、何かをどうにかするために僕らは生きている。多くの場合はそれをより良くするために頑張るし、なにかを滅茶滅茶にするために生きる人もいるだろう。若い人はそのなにかが見つからなくて悩んだりするし、心が病んだ人もそれが持たない事が多い。
人付き合いの話と結びつけると、僕らは友人や恋人など、心的な結びつきの関係において、何か求めるものがあって人と時間を共有する。その過程を、共有する空間それ自体を求める。そこには目的はない。男女だとそれと併存してセックスが目的となることがあるから少しややこしい。ともかくそれに目的がなければゴールもない。その過程をより自分らの望む通りになるように、例えばより楽しく、充実したものになるように、僕らは日々努めている。そして結果はさよならだ。