エンタメの物語(アニメとかラノベとかマンガとか)において主人公は特別(ユニーク)であることがやはり求められるんだよ。「他でもないその人物を主人公にした意味」ってやつが要請されるから。そしてこれらの物語ではやはり最終的に勝利が期待されるので、逆説的に主人公は強者であったことになる。勝ったと言うことは強かったんだろう、少なくとも最終的には強くなったんだろう――という構造。
※余談だけどこの構造に対するアンチが「ラッキーマン」とかだよね。
しかし一方でこれらの物語の主人公は、読者の感情移入点、アバターとしての機能ももとめられる。「まるで自分のようだ」みたいなポイントがあれば作中世界に入り込みやすいし読書体験は盛り上がる。でも当然読者は「勝者になるべき特別な存在」じゃないのでそこで乖離が生じる。
この乖離を穴埋めするために、主人公は作中で努力なり修行なりをして「読者である自分はやらないけれど、もし実際やったとすれば、これくらいの成果は手に入れられるんだろう」みたいな納得を読者に与える事になる。説得力があれば納得が高まるのは言うまでもないんだけど、しかしそれでも優先されるのは「納得」であって、その努力をちゃんとすれば本当にその成果が手に入るという実証研究ではない。
※この「納得」に対して別方面で行われるアプローチが「血筋」だ。優れた親の子が優れてるとは限らないんだけど、物語的にはかなり説得力のある論理として扱われる。DBの悟空もそうだし、NARUTOもそうだし。
「この主人公は努力してないように見える」ってのは作中の事実(描写)に対する否定じゃなくて、「読者である俺には納得が不足している」って言うことを言い換えただけなんだよ。