自分の吐き出したいものが作品になる、その熱が作品への糧となる。
自分もそうしていたはずなのに、吐き出す場所が増えてしまった。
作品を作ることをやめてしまったら、唯一わたしを私と言えるものがなくなる。
もうやめよう。吐き出すことは。
いいや、ツイッターで吐けばいいこと。140字区切りでしか言えないこと、その区切りで、
私のバカな頭は、少しずつでも言いたいことをくぎれる。
飲み込むのではなく、言いたいことが徐々に何を言いたかったのかわからなくなるから、
バカな頭は、都合よくできている、
すぐ忘れられるように。
悲しみも苦しみも
今の私の中では溜まり辛い。
それほどの感情が動く出来事がないから、今まで以上に今は穏やかに過ぎてしまうから。
私の多くある糧の一つが、尽きてしまう前に、
もうやめよう。
作品を作らねばならない、
以前、「創作とは魂の救済、創作をやめた人は、救済されたのだろう」というような言葉を見かけた気がする。
そういうことなのだろう。
ダラダラと命綱の理由や、それに至るまでを、自己満足で承認欲求で、吐き出してはいけなかった。
その熱を糧として、創作をしよう。
これ以上、吐き出さないために、このアカウントを消そうと思う。
もともと、一つだけ吐き出したかったのに、このざまだ、
アカウントを消すのはケジメということだ。
増田で吐き出してたことそれ自体も作品の糧にならんの。創作とはこう在るべきっていうそれ、どこかから借りてきたもんじゃないの。