諦めて生きてた。望んじゃいけないと思って生きてた。
大概のことは許せる。許してるつもりだった。
でも、怒るときは、浅はかで細かいことに怒る。余裕がないのだ。
はたからみたらどうでも良い。だけならまだましだ。
落ち着いて思い返すと、自分でもどうでも良いと思うことにたいして
ねちねちとした子供っぽい怒り方をする。
でも違っていた。大人になって怒り方は変わったが、それは怒り方が変わっただけだ。
大人らしく自分の優位性を維持しながら相手を追い込むようになった。
どうでも良いことに怒る子供っぽさは変わっていない。
頭が良くなったところで、大人ではないなんだな。と長年思っていた。
成熟した大人にならなければいけないし、
成熟すれば余裕が出て落ち着くと思っていた。
父と母が、よく喧嘩するようになった。
「私は、これだけ頑張ってきたのに、あなたは私をおざなりにして馬鹿にして。そうやって私の人生は終わる。」
内容は、良く言えばありきたりだ。だけど、はっとさせられた。
確かに、母は頑張って生きてきた。家族のために自身を犠牲にしながら
家族のために諦めて、だけど正しく、そうやって生きてきた。
それは、私がこの家族で育ったことが何よりも証左になる。
家庭の話をするつもりではないが、私の家は裕福ではない貧乏だった。
父も出来た父ではない。むしろ駄目な父だった。
そのあおりを受けて、私もそれなりのことをを我慢して犠牲にして育った。
だから、母の主張が間違ってないことは、私の人生が証明している。
だが、主張の正しさと、怒ることへの正しさは別物だ。
そうやって怒るようになってからの母は、細かいふとしたきっかけでも怒るようになった。
簡単に怒り正しい主張で、まくしたてる。
母のそれは、私自身が嫌悪していた子供っぽい成熟してない怒りそのものであった。
しかしそれは、大人になってもそれは変わらない。成熟など出来ない。
という事実を突き付けられたのも同じだった。
母の怒りは子供っぽい。だが、それは本当に幼いと言えば違うのだ。
母が怒るのは、それが自身に最後に残された尊厳の危機だからだ。
削るだけ削って残された最後の尊厳が失われそうだから、だから母は怒る。
子供っぽくても幼くてもしょうがない。それは失ったら自身の存在を否定されるものだから。
家庭環境の影響により諦めて生きることに慣れてた私は、長年、諦めて生きることに否定的ではなかった。
確かに、自身の存在さえ諦めるのは不味いが、それ以外は失っても良いじゃないかと。
そう思っていた。
だが違っていた。人は諦めちゃいけない。諦めて育ってはいけない。
だが、小さくすれば小さくするほど、そこに残される余裕が消える。
少しでも傷付けられば、幼く醜く反発しなければいけないほどに致命傷になる。
自身に足りない余裕の正体。それは後天的に獲得するモノではなく
本来備わるはずの余裕を、諦めることでそぎ落とした結果だったのだ。
諦めて諦めて、だから僅かに残っている期待を裏切られるとひどく傷つく。
無防備な身を晒しながら生きている。
まとめときますね 思い立ったが吉日、ではないかも。 http://anond.hatelabo.jp/20140127015726 http://anond.hatelabo.jp/20140127021411 あと、 決めた 付き合っちゃいなよ!!
「優しい人間」とは余裕のある人間だ、って言葉を思い出した
自分では言葉にできなかったものをつきつけられた。心が痛い。