2009-06-22

フラット世界は味気ない。

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20090621/p1

なんかさ、言いたいことはわかるし、

現状の分析として面白い論考ではあると思うけれど、

これってあくまで社会システムとか構造上の話であって、

「じゃあ俺たちは今後どう生きるべきか」、とか、

「こういう生き方ってはたして是なのか」、という話ではない気がする。

ロマンチック未来的ないち妄想として聞く分には、

「本当にこの人は賢く文才もあり、毎回見事な記事を書かれていらっしゃる」と感心できるんだけど、

多分に作者の自我自意識が絡む語り口が、正直ちょっと気持ち悪かった。

いろいろ言ってるけど結局は、近代的なシステムの中での「エリート」や「強者」に対する厭味と憎悪を、

社会システム構造上の観点から吐露してるだけじゃん?って思った。

いや別に、「言説に自意識を持ち込んでんじゃねえよ気持ちわりい」

などと上げ足とりをするのがこのエントリの本意ではないけれども、

そもそもこの人の主張ってえてしてそういう味付けされていること多いから

なんとなくつっこまずにはいられなかった。

とりあえず、愛読ブログのひさびさの渾身(?)エントリなので、

脊髄反射的につっこみを入れておく。

前提として、

・「近代」という思想価値観はもう終わっている。

・そこから生まれた諸制度の誤謬や矛盾に誰もが気づいている。いずれ近代的なシステム死滅する。

というスタンスにまず大きな疑問を感じる。

おおざっぱに言っって「近代」は「大衆エゴ」を肯定し、拡張させる思想であり装置だ。

ここでいうエゴとはこれまたおおざっぱに言って、

●「自尊心自我に関する欲求」

●「快適さを求めたり、うまいものを食いたいと思う生理的欲求」

●「いい女とやりたいという(男の)性欲」

の三つだが、これらは社会が生まれた当初から存在した普遍的な人間の行動原理であり、

社会の発展のプロセスとはその規模が広がっていった過程でもある。

一握りの政治権力者から一部の有産階級へ、そして大衆へ。

「長いスパンで見た時に、人類歴史は平等へ向かっている」とは、そういうことだ。

近代」という発明が偉大だったのは、

利便性の向上による人類への貢献と資本社会への循環・還元という大義名分によって、

個々人の欲望や格差を(事実上)完全に肯定したことにある。

それは、社会を発展させる上でこの上なく有効に機能した。

だがそこには当然副作用も働く。

帝国主義人種差別社会格差

それは近代の振りかざす大義名分があったゆえに、良識的な人間からはことさらに「醜悪」に見えた。

ポストモダンと呼ばれる一連の動きは、

その醜悪さをえぐりだし、画一的近代価値判断を徹底的に否定した。

それが20世紀後半の数十年の話。

思想としてはそれで正しいんだけれど、

人間の欲望はそんなに簡単に変わらない。

欲望を肯定して突き進んできた人類が、

「今後はさすがに自重すべきだわ」と簡単に納得するわけがない。


100年前だろうと今だろうと、

人間名誉欲や物欲や性欲は変わっていない(はず)なので、

そういうDNAレベルで刻み込まれている人間の欲望みたいなものは、

上位3%の人間に対するインセンティブとして今後も機能しつづけると思う。


Webというシステムインセンティブを求める人間によって作られたにもかかわらず、

結果として彼らの享受すべきだったインセンティブ

徹底的に否定する流れを生み出したことはまさに皮肉としかいいようがないけれど、

社会が今後も上位3%の人間によって動かされるのであれば、

彼らの「自分の偉さ(頭の良さ、美しさ、道徳的正しさ、経済力etc.)を誇示しようという無意識の下心」が発散される回路が、

今後も手をかえ品をかえ生まれてくるはずだ。

もしくは、それがより巧妙になされる、とかね。





とゆーかそもそも、

誰もが偉ぶることなく、誰もが劣等感を感じることなく、

ただ与えられた役割を粛々とこなしながら、

目の届く範囲の人間関係の中で生まれては消える充足・充実・高揚だけをよりどころに生きていく社会って、

あまりにもつまんなくね?

「大物」がいない世界って、結構味気ないぞ。


とりあえず、「新しい時代にふさわしい生き方」を語るなら、

もっとミクロレベルの話も少しはしてほしい。

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