はてなキーワード: 抽象とは
平成30年の夏にペガサス浮間舟渡の向こうの赤羽ゴルフ場で叫んでいたといっても抽象的にそう言っているだけで当時の様子は全く具体的には確定できないので、当時の教科書を
書いて次第に確定していくしかない。 記憶されているのは次の程度の事である。
(1) 雨が降っていた日であり、糞警部補が、向こうからライトで照らしていた。
(2) 男? 歌を歌っている。意見を言っている、意味不明、という通報しか残っていない。 志村旧庁舎がどのように扱ったについても、平成30年分は何も記録されていない。
副島真のバッタの問題、 バッタの整数列のジャンプの着地しないところがあるという問題を解いたことになっている3人の警察官 熊谷永華 戸田勇哉 本官
難しかった理由 整数ではなく組み合わせの問題で、しかも、誰も体験したことがない、 Strong-Inductionが登場する問題だったこと
なぜフランスでは「創価、幸福の科学、統一教会」がカルト扱いされているのか…フランスがカルトを規制する上で注視する「10の基準」とは | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け
はてなー共は読んでないだろうなぁ。
・身体に対する加害
・反社会的な言説
・公序に対する脅威
・訴訟を多く抱えている
・公権力への浸透の企て
要するに「現状の社会規範から積極的に遊離、逸脱、変革しよう」としている宗教的な組織を「カルト」と認定してるわけよ。
だからイスラム教は「カルト」的であろうよ。特にフランスにおいては。
この項目に楯突く文句は1つもない。確かにこれは「カルトの要件」だ。
バカなジャップ諸君には宗教成立の3つの要素も付け加えておこう。
・教理
・倫理
・実践
・教義
・戒律
・礼拝
あと書かれている3つの要素は、どれも「反対すること、疑念を持つことが可能」なものだけれど、宗教は「そんなの私(=神)がゆるさない」だからさ。
オマエラが感覚的に「宗教を忌避している」っていうのは、実はこの3つの要素の方だよ、と言いたいわけ。
どうかな? 当たったかな? もう少し意識を進ませりゃ「宗教はまぁいいけど、カルトの10要素はダメだ!」になりそうだが、コミュニティに抵触するものも多いので、単にフランスが「個人に鑑賞する不自由で不快な国!」ってなるわけで。
『モテたければ人として接しろ』というアドバイスはまちがい。正確には『個人として接しろ』 - 自意識高い系男子
これ読んで、日本語の「人」はpersonの意味とhumanの意味の両方があるんだな、と気付いた。
元増田は、暗黙に、人をperson、人間をhumanという区別をしていると思う。
ただ、日本語の「人」はどっちの意味でも使えるので、誤解が生じるような文脈で、
personの意味で人と言いたい場合は、個人や人格と言った方がよいのだと思う。
別の増田で、
・「人間扱い」とは、十把一絡げの「女性扱い」ではなく個人個人に合わせた扱いのことだよ派(抽象度を下げろ派)
・「人間扱い」とは、性差を意識した「女性扱い」ではなく男性と同じように/無性かのように扱うことだよ派(抽象度を上げろ派)
個人的には「人間扱い」といったら人間一般に適用できる後者を指すべきで、前者は「個人扱い」とでも呼ぶべきじゃないかと思うが
ってのがあるけど、まさに前者がperson、後者がhumanだと思う。
いずれにせよ、「人」は多義的なので、「個人」や「人格」と言い換えた方が正しく伝わる、というのはその通りだと思うけれど、
「人」にはpersonの意味もあるので、「人として扱う」という言い方もまちがいではないと思う。
実際、自分もpersonの意味で読んでいて、上述の記事を読むまで、その多義性に気付いていなかった。
さっき「誤解が生じるような文脈で」と書いたけれど、
個人的には、恋愛や人間関係についての話のなかででてくる「人として扱う」が「personとして扱う」以外の意味を持つとは思ってもみなかった。
・「人間扱い」とは、十把一絡げの「女性扱い」ではなく個人個人に合わせた扱いのことだよ派(抽象度を下げろ派)
・「人間扱い」とは、性差を意識した「女性扱い」ではなく男性と同じように/無性かのように扱うことだよ派(抽象度を上げろ派)
この2つってコンフリクトしてないだろ
・「人間扱い」とは、十把一絡げの「女性扱い」ではなく個人個人に合わせた扱いのことだよ派(抽象度を下げろ派)
・「人間扱い」とは、性差を意識した「女性扱い」ではなく男性と同じように/無性かのように扱うことだよ派(抽象度を上げろ派)
個人的には「人間扱い」といったら人間一般に適用できる後者を指すべきで、前者は「個人扱い」とでも呼ぶべきじゃないかと思うが
本質論を言えば「人として接する」は具体的な行動指針に還元できるものではないよ。教会に行くことが神を信じることとイコールではないように。神を信じるとは、神の存在を前提した世界に生きることだ。何故とつぜん神の話をしたかといえば、「人として接する」は実際にひとつの宗教だからだ。「個人」や「人権」の概念はキリスト教に由来するところが大きい。坂口ふみ『〈個〉の誕生』は良い本なのでおすすめしたい。
だからこの信仰について言葉で語ることは本当はできないのだけど、あえてその教義を表現するなら
あたりになると思うけど、そう言われて分からない人は分からないだろうし、こんなふうに書いてもあまり意味はない。
断っておくけど、わたしはこれが分からない人を〈悪い〉とは考えない。たんにこの神の教えに入信していないというだけだ。もちろんこの教義に照らせば「悪」なんだけども。
とはいえ、「入信しているフリ」ができないわけではない。その方法をお教えしよう。これはわたしもやっていることなのだけど、その方法というのは、「人間を徹底的に、本当に徹底的に馬鹿にすること」だ。軽蔑にしすぎて愛おしく思えてくるくらい徹底的にね。愚かで、矮小で、醜悪で、しかも自分がそうであることに全く気付かすに自信満々に生きているおかしな生き物たち。ただの自然現象に過ぎない、川の流れの中に生じた淀みみたいな存在なのに、自分は自由意志を持つと信じる憐れな自己複製パターン。そんなふうに人々を見てみよう。言うまでもなくこれは先に挙げた教義のうち上2つの完全な否定だ。しかしここで重要なのは、3つ目の教義は維持すること。つまり自分もそういう憐れな淀みに過ぎないと思うこと。これがいちばん重要なことだ。「すべてを軽蔑せよ。だがこの軽蔑によって窮屈にならないように。軽蔑によって他人に勝るなどと信じるな。軽蔑の高貴な術のすべてはそこにある。」ある詩人がこんな事を言っていたけど、これは真理だとわたしは思う。
わたしも以前は「人を人と思っていない」と他人から嫌われたものだが、このような態度を取るようになってから、そういう批判はもらわなくなった。それどころか、いっぱしの人格者だとみなされているフシがある。「人として接する」がどういうことなのか、根っこのところではまだ良くわかっていないのにね。あるいは案外、みんなそうなのかもしれない。まあとにかく、徹底的に人を軽蔑するというこの指針を試してみてほしい。「徹底的に」やるのが大事だ。「人として接する」という抽象的な表現よりはだいぶわかりやすいのではなかろうか。
この説明だと
この紙切れは特定の価値を意味し、商品やサービスと交換できる。
現在はさらに高い抽象レベルを扱っている。クレジットカードはカネをデータ化している。
この紙切れは特定の価値を意味し、商品やサービスと交換できる。
現在はさらに高い抽象レベルを扱っている。クレジットカードはカネをデータ化している。
ちょっと前に声優の不倫で話題になった中に「男は目で、女は耳で恋をする」ってのがあった
声とか話し方を良くすれば印象も変わるという事だ
なので普段甲高い声で早口で喋ってる人は低い声でゆっくり話すのを心がけると良い
抽象的すぎてよくわからんって人は以下のセリフを真似てみると良い
「だーんちょ」
「親父にもぶたれたこと無いのに」
フェミニストは一般女性が性別役割を助長してるときは口を出さない。
しかし抽象的な結論で納得する学問としての側面より、現実の女性を救うアクティビティとしての側面が強い。
"あなたが声を上げればいい" する。
ティーポット@減税会
@libre_y0ssy
ちょっと真面目な話をすると、宿泊税って小さく見える人もいるかもしれないけど、これは役所が権限を拡大する自動装置であって、目的なんて後からつけるということの一形態なんですよね。
最も悲惨な例が先の大戦。聞かれるたびに戦争目的が代わっていった。
草香(くさか)潤一@みやぎ減税会
@kusaka_j1
仙台市の宿泊税導入、最後の検討会議事録で岩松委員(岩松旅館経営者@作並温泉)の発言です。的を射ていると思います↓
3,621 件の表示
https://x.com/kusaka_j1/status/1794257945389395969
ティーポット@減税会
@libre_y0ssy
この発言はすごく重いですね。ちゃんと記憶しておかないといけませんね。議員さんに話をする時も紹介してみます。
https://x.com/libre_y0ssy/status/1794258531379777710
草香(くさか)潤一@みやぎ減税会
@kusaka_j1
宮城県と仙台市で税収を分け合う算段をしています。今後県議会や市議会がどうするのか…できるだけ調べたいと思います。私はこの岩松さんと面識ありませんが、高校の同級生なのです。接点取ってみたいなと思います。
今日が最後だということを先ほど聞って驚いている。あと5~6回やれば0円にできると期待して今日も臨んだが、残念ながら今日が最後という事である。事務局にも後でも構わないのでお答えいただきたいのが、第7回までは300円に徹していたのが、なぜ第8回で200円になったのか、理由がわかりません。それから入湯税の使途明細についても、前回吉田会長から「岩松さんが胸をはって徴収できるような資料を準備していただくようにお願いしたい」とお話いただいたが、何ら説明や資料はいただいていない。
さて、トラウマが非常にある。2011年の4月上旬、作並温泉旅館組合の森脇組合長他数名で、仙台市所本庁舎裏の水道局レベル内の経済局長をお訪ねした。
松島町にならって、入湯税の当分の間の免除をお願いしたいと申し上げたが、「経済局の手を離れており税務当局の問題なので、自分たちには何もできない」との答えだった。
その間、私たちは暖房も切って震えながら作業して、お客様がお出になったときだけ暖房をつけるようにしてやっていたのに、経済局はぬくぬくと暖房がガンガン効いており、職員がパソコンでグラフを一生懸命作っていた。我々は死ぬ覚悟で訪ねていったがそういう状態であった。
宿泊事業者を徴収義務者とする新税が導入されれば、そしてそれが定着すれば、同じような扱いになるのではないか。文化観光局は知りませんが、税務当局だからそちらにいってくれとなってしまうのではないか。
使い道に関しても、入湯税もそうだが、どんどん拡大解釈され、すなわち、交流人口拡大のため、来仙者の利便向上のため、といったように曖昧になって、旧来の観光地の振興という事からどんどん離れていくでしょう。
例えば、旧商店街のアーケードを造り替えようとか、国分町交番に隣接した公園のトイレの改修工事をしようとか、そういったことに使われてしまうのです。我々のところには一切こない。選挙人の多い地域のバックアップに費やすだけで、我々のような過疎地は取り残されて、雲霧消散となって、不公平に扱われてしまうのではないか。
加えて、観光公害も無く、従前の年間15億円の観光費を検証もしない中、インバウンドも含めてあるが、それ入湯税の総括もない中、新しい税の導入は時期尚早であり、全く反対である。記載のてある施策も非常に抽象的で全く具体的なものは見えない。こんな様なやり取りの中で、新税がごり押しするのでは無く、奈良時代から脈々と湯治文化をつないで来た先人たちに大変申し訳なく、私が絶対反対だと表明してきたことを含めの議事録、並びに市政だよりに記載してほしい。私はこれを冥途の土産として持ってまいりたい。
このような目的がはっきりせず、なんの働きも実績もなく存在する異議が全くない社会活動家とかいう連中だけがもうかる税金を公明党と創価学会はたくさん作っています。