はてなキーワード: 責任能力とは
何も考えずにとりあえずその場しのぎのそれっぽいことを口にしてるだけでそういう指示を出してる理由が何もない
意味わからないから確認しにいくと、ちゃんと答えられなくて「じゃあそれでいいよ」とか言い出してどんどん内容が変わる
そもそも目的、目標を明示せずに謎の指示だけ出すから順番がめちゃくちゃで何がしたいのかわからないし何をさせられてるかもわからない
なんかもう上司くんの言う通りに動いて会社をめちゃくちゃにしてやろうかなとも思うんだけど、責任能力もない、というか他部署の人から信用されてないから「上司くんに命令されてやりました」って言うと「お前らがちゃんとやれ」と怒られる
耳障りのいいことを言うのだけは得意だから部下としては使い勝手良かったのかな
俺は疲れた
法っていうのはね、人の復讐心や感情(が行き着く先の殺意)を国家が代行するためにあるものじゃないの。
ビジネス人権家とか言って人の心が分からない人間かのようにいつも肯定派は人格攻撃するけど。
むしろ法によって正しく人の世が治められるにはどうあるべきかを誰よりも深く理解しているからこそ、仮に自分の近親者が無惨に殺害されたとしても、国が殺し返すことで解決とするような安直な発想には理性で抗っていかなきゃいけないと了解しているわけ。
法というのはよりよい社会環境を作っていくためにあるものだよ。罪が生まれる原因を罪人個人に帰着させてしまうのは、思考の放棄とかわらない。
人間が育ち暮らす環境を制御できる最大の権限をもつ国家が、罪人を産みだす社会環境を作ってしまったことと、その改善に真摯に向き合うには、死刑で済ませてたら前進しないのよ。
だからさっさと死刑にするよりも国に負担はかかるけど、無期懲役として養い続けながら、更生の芽がないか探り続ける役目を負うくらいの覚悟が国にはないといけない。それがままならないくらいになれば、本気で社会構造を改革しないといけなくなるでしょ。
死刑にしてたら、どんだけ世の中が腐敗してても、ゴキブリ潰しを延々と続けていれば国は仕事してるように見えてしまうけど、そんな社会は誰も望まない。ゴキブリが大量発生しない環境を作るのが本来の仕事でしょ。
もちろん、実際的には、個人が責任を負える存在だと仮定して、罪が生まれる原因を罪人個人にある程度帰着させてしまうのは有効だよ。だから刑罰があるし、責任能力を慎重に判断した上でジャッジをするんだけど。
命を奪う究極の刑罰に向き合うときは、そもそも人間って本質的に、責任を負えるものなのか?ってことを、負えるものだと仮定する法の枠組みを越えて、科学的にちょっと立ち止まって考えなきゃいけない。
気の毒 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2301364
差別 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kanaloco.jp/news/social/article-1050946.html
事件を起こしていない人間まで障害という属性で判断することが差別なのだ、起こした人間と扱いが違うのは当たり前だろ馬鹿、と返されるだろうが全く同感である。
それをしないなら健常者であろうと蛇蝎のごとく嫌われる。