はてなキーワード: 負の所得税とは
負の所得税ってどうやって?
って話と それこそ、長期滞在の外国人労働者もいるなかで、負の所得税は制度が煩雑になりすぎる。
長期滞在の外国人労働者からも、消費税は徴税することになるが、負の所得税を返すのかと。そうすると、難民などまで考えると、税収は減ってしまう可能性がある。
あと、徴税は科目に対して税率を変えるものであって、価格に対して変えるものではないかと。
なので、食料品という名目であれば、一律。
どこかの国のように、マクドナルドを持ち帰れば、食料品で減税。食べていけば、外食で高税。
高い肉でも持ち帰れば低税率 安い肉でも食べていけば高税率かと。
もともと、税率であって、税額ではないから。高いもので低税率でも額面はある程度あるわけだし、いいのではないだろうか?
あと、やるべきなのは、家賃は低税率で、不動産収入には高税率とかやるべきだね。
地下げがおこらないと、この国は住みにくい。
還付だったらBI挙げちゃだめだろ。「負の所得税」だけにしとかんと。
後、管氏のいってる還付は、ほんとに消費の還付かもしれんぞ。実際のレシート云々はナンセンスだが、家庭のモデルに基づいた消費額で還付するかもしれん。負の所得税との違いは、年収が同じでも家族構成とかで還付額が変わること。
まあこの辺の事務処理については、財務省に抜かりはないから「こういう条件を満たす方法で」と指定されれれば、「負の所得税」なり「消費モデル額還付」なり適当な方法を作るでしょう。
まぁそうなんだよね。
ベーシック・インカム推進派の多くが消費税を中心に据えたいっていうのも、一つはこの抜け道だらけの複雑な制度を単純化したいという意図があります。
逆に言えば、不公平な税制の解消のため消費税中心にすると出てくる逆進性の問題を、ベーシック・インカム、あるいは負の所得税で解消すると言ってもいい。
違うとしたら、厳密にはベーシック・インカムではない別の制度だね。
ちなみに健康で文化的な最低限度の生活を営めない金額でも厳密にはベーシック・インカムではなくなります(負の所得税ではある)。
それにしても財源はないっぽいけど。
消費税50%とかにしないと実現できない気がする。
まぁないわけではないんだけど、ベーシック・インカムと言えないレベル(負の所得税)の月1000円でもいいからまずは実施して欲しいと思うね。
財源に関しては詳しい人が補足してくれるでしょうw
しかし、そうすると本文で述べられているように「負の所得税」方式に落ち着くわけです。
「一定額の一律支給」を「負の所得税」によって行うんだよ!
「納税者」に「定額減税」って、つまり、収めようとした時に「収めなくっていいっすよwww」って言うようなことだよな?
これはYES。
「負の所得税」システムを導入することで、納めようとしたときに納める額がBIの額に満たない場合は、差額が逆に政府から納税者に支払われるというわけだ。
ということは、「収めようとした時」に「沢山金があるように見えれば」「納税しなくていい」ってことかい?
逆だよね。
たくさん収入があれば、たくさん税金を払うわけだから、収入が少なければ税金は払わなくていい、あるいは政府から給付金が受けられるというわけだ。
沢山金があるのかどうかを判断するにゃどうすりゃいいんだい?
ここに関しては、現行のシステムをそのまま使うというのがいまのところの前提。
もちろんもっと良い方法もあるかもしれないよ。
たぐってみよう。
俺サラリーマンだからしたことないけどカクテーシンコクっつーイニシエーションを行わないと所得税って確定しないんだろう?
それって、普通は自己申告で、よほどのことがなければビッグブラザーとかに問い合わせない限り正確な数値は弾き出せないんだろ?
度はそれぞれだけど、みんなしてケーヒとかをやりくりしてダツゼーしてるもんなんだろ?
ここまでは全部YESだよね。
このひとはBIと関係なく確定申告のシステムについて知りたいんじゃないか疑惑が浮上w
当然そのコストは政府が、ひいては国民の税金から出ているよね。
現状でもBIを導入しても同じ。
単純に、住民税(もしくは空気税的な何か)の額がマイナスとプラスで大きく振れる仕様になる、ってだけなら話は早いような気がした。問題はバランスだけど。
あーわかった。
BIと負の所得税の違いというより、その結果どうなるかというところの予想に疑問をいだいているというわけだ。
小飼弾なら「負の所得税」でも「人間は何も生産しない」とか「働かなくてもいい時代が到来した」とか主張することでしょう(本は読んでないけどw)。
そして、BI自体は再配分の一方式だと認識した上で、再配分の方式を変えることでどういう効果が二次的に得られるのかということを言っているはず。
で、↑増田は、そこが気持ち悪いと思ってるわけだ。
まともな人ならそう考えるでしょう。しかし、最近の小飼さんは本当によく分からない部分があります。
本来なら「負の所得税」の導入によって得られる効果は「行政手続きの簡略化」と(給付する額によりますが)「大規模な再分配」に限られるはずです。
ですが、その著書からも分かるように、なぜか小飼さんは得体の知れない哲学をBI支持の主張に混ぜ込んでいます。例えば、「人間は何も生産しない」と言ってみたり、「働かなくてもいい時代が到来した」と論じてみたりするのがそれです。その書きぶりを見ていると、「BIが再分配の一方式に過ぎない」ということを本当に認識しているかどうかも怪しいように思われてなりません。
なるほど。なんかよく解らんけど違うと。
小飼弾に代表されるBI神秘主義派はたぶん「BI=負の所得税」という認識を持ってないでしょう。彼らはあくまで「一定額の一律支給」というお題目にこだわる物と見受けられます。
簡潔に言えば、BIは平等主義を起源に持つ制度であり、一方「負の所得税」はリバタリアン思想とつながりが深いものとされています。
詳しくは、Davide, Tondani. Universal Basic Income and Negative Income Tax: Two Different Ways of Thinking Redistribution. 2008.を参照してください(ネットで探せばたぶん全文が見られます)。
追記: その違いを除いても、小飼弾に代表されるBI神秘主義派はたぶん「BI=負の所得税」という認識を持ってないでしょう。彼らはあくまで「一定額の一律支給」というお題目にこだわる物と見受けられます。
本文の例で言えば、「なんで225万円の再分配をするのに、750万円集める必要があるわけ?」という疑問にどう答えますか?
へい。
まず、最初に「単なる再分配」と強調しましたのは、「単なる再分配」になにやら啓示的解釈を施している小飼弾一派がいるからです。それを前提として:
・「一定額を一律支給」にすると、「お金を一旦収めてから返してもらう」という無駄が大規模に起こる(BIの予算が一見莫大に見えるのはこのため。元の投稿で出した例でこの無駄を省くと、結局「負の所得税」方式になる)
・BI論はインセンティブの低下などの再分配に付き物の問題を放置する
という明らかな問題点がBIにはあります。
「現行の制度の無駄を省こうと言う発想自体には賛成するけど、その代替案がBIじゃだめでしょ。もっと良い代替案があるでしょ」というのが私の立場でございます。
ベーシックインカム(BI)が何やら「あるふぁぶろがー」の間で流行りになっているようですが、中身を見てみますと、金額や財源などの具体的制度設計はほとんど統一がとれちゃいません。そしてどうやら、この支持者たちの論の立て方の杜撰さが、無用な期待や反対論を生み出しているようです。
けれども、この制度って期待されている(あるいは恐れられている)ほどご大層なものではないと思うのです。
それと申しますのも....
単純に、年収がA:0万、B:100万円、C:200万円、D:300万円、E:400万の5人がいるとしましょう。この5人の間で150万円のBIを行うとします。つまり、150*5 = 750万(全員の収入合計の75%)が必要になるわけです。財源は、分かりやすく所得税75%一律課税としましょう。すると、どうなるでしょうか:
A: 0 - (0*0.75) + 150 = 150
B: 100 - (100*0.75) + 150 = 175
C: 200 - (200*0.75) + 150 = 200
D: 300 - (300*0.75) + 150 = 225
E: 400 - (400*0.75) + 150 = 250
とまあ、かなりの所得の変動がありましたね。でも何か変ではありませんか?
例えば、Cを見てください。この人の年収はBI前後で変化していません。そこでよく見てみると、実は150万(=200*0.75)のBI税を払って、そのままその150万をBIという名目で返してもらっているということが分かります。DとEの状況もCに似ています。彼らはそれぞれ225万、300万のBI税を払って150万ずつキックバックしてもらっているのです。
要するに、ここで行われているのは、実質的にD、Eからその差額の75万、150万を徴収してAとBに再分配しているというだけのことなのです。そして再分配されなかった残りの525万円は単に「元々の持ち主の右のポケットから奪い取って、左のポケットに返している」わけです。
BIの予算が一見ビックリするほど巨額になるのは「グルグル回して元の所有者に返す」ということを(現実には相応の行政コストをかけて)やっているからです。所得の再分配の自体の妥当性は別として、その実現の仕方としてはいささか非効率でマヌケです。
追記: 「負の所得税」方式ならこの無駄を省いて実質的に同じ再分配を実現できます。制度的にはこちらのほうが優れているのです。
再追記: BI否定派の中には「BIをやると国民に途方もない税負担がかかるから無理」と主張する人もいますが(例えば、Marnier/20091116)、この主張は間違いです。というのも、BIによって経済階層間を移転する富は予算のほんの一部を占めるにすぎないからです(上の例でも、貧困層に移転したのは全予算(750万)のほんの30%(225万))。一見莫大な予算の大部分は元の所有者にそのまま戻ることになり。実質的負担は「負の所得税」と変わりません。
さて、BIが昔ながらの所得の再分配に他なら無いことがわかっていただけたと思います。となると次の問題は「BIは所得の再分配の方法として優れているか?」ですが、実はそうではないことがすぐに分かります。
大規模な所得の再分配を行う上での問題は、大雑把に「働く旨味が薄くなること」と「高所得者に税逃れのインセンティブを与えてしまうこと」の二点です。この二つはどちらも「分けるためのパイ」を小さくしてしまい、結果的に再分配自体の維持ができなくなります。
上の例で説明しましょう。この世界では、所得税が75%もかかるため1500円の時給で働いても375円にしかなりません。働く意欲も失せますね。一方で、高所得者のEは300万円もの税金が嫌になって海外に逃げてしまうかもしれません。仮にEが海外に脱出したとすると、税率を100%にしなければBIを維持できなくなります(BIにかかる総額とABCDの収入合計が等しくなるため)。しかも、残った4人がわずかでも働く時間を少なくして収入を減らすと、「150万円のBI」という最初の理想はあっさり不可能になります。
だからこそ、一般に福祉国家は失業手当てをもらっている人の就労を促したり、ケースワーカーに生活保護受給者の面倒をみさせたりするわけです(実際に、山形せんせいが訳したもの(http://cruel.org/economist/oecdlabor.html)によれば、「職探しサービスを厳しくして予算もつけるようにすれば」失業手当による就労インセンティブの低下を相殺できるようです)。
BIはこの再分配につきものの問題に何の解決も与えません。むしろ、BI論者は「BIをもらっている人に国家は口を出すな」と主張することで就労インセンティブを与える国家の取り組みを一切否定します。また(見かけ上)肥大化した予算を支えるための超高税率はさらに問題を悪くしますし、高所得者の問題についても、支持者たちはさっぱり何も考えてすらいないようです。この制度が何をもたらすかは火を見るより明らかです。
結局、現行の支持者が主張するBIは、お金をぐるぐる回すための余計なコストをかけた再分配にほかならず、しかも再分配が引き起こす問題点も何も解決しない(むしろ悪化させる)という馬鹿げた制度なのです。