はてなキーワード: 科挙とは
儒林外史の内容は山川の世界史用語集には
「儒林外史」じゅりんがいし(11) 清朝の長編小説。全55回。呉敬梓著。18C中頃に完成。科挙を風刺し官吏の腐敗ぶりをあばく。
とあるけど、悲憤慷慨で弾劾する調子は薄い。むしろ読後感は風雅な感じがする。
話の展開はオムニバスぽくて登場人物がころころ変わるので、全体を貫く明快なストーリーはなし。だれそれが科挙に受かったり、官吏に賄賂送ったり、遺産相続で争ったり、オカマ役者を集めて宴会やったり、などなど。清朝の江南の雰囲気がよくわかる。
儒林外史を読み終わった。他の人の読後感を知りたくなって、ネットを検索してみたら、どうもほとんど読んでる人がいないらしい。サイトは作りかけのが1つだけ、wikipediaに項目がない、2chのスレもなし、はてなキーワードもなし。
知名度は「三国志」「水滸伝」「西遊記」「紅楼夢」には及ばないにしても、タイトルは高校の世界史でも出てくるし、そこそこメジャーだと思ってたのにがっかり。
流行らない理由は、特に目立ったストーリーや人物がない、科挙や官僚制度がわかりにくいあたりか。
訳本が手に入れにくいのもあるかも(文庫で出てないので、平凡社の中国古典文学大系(昭和43年)で読んだ)
読んでみるとそこそこ面白いので暇のある人は一読してみてください。
国家機構の中のお公家となるには、戦前は三つの登竜門があった。東京大学と陸軍士官学校と海軍兵学校である。戦争に負けた結果、陸海のエリート(士官)養成学校は廃止されたので、戦後60年、唯一の登竜門として君臨してきたのが、泣く子も黙る東京大学法学部である。
それとは別に、氏(うじ)はさまざまながら、きわめて自然にお公家さんに成っていくグループもある。政界とか大手企業の三代目がそれにあたる。
三代目の特徴は、いろいろあるが、「売り家と唐様で書く三代目」と江戸川柳にもあるように、まず経営能力(戦闘能力)が欠けていることを挙げることができる。企業でいえば、一代目が築き二代目が拡大した事業を、三代目でぶち壊す、というのが江戸期からの伝統的な有り様(ありよう)である。
彼ら三代目は極めて「ジコ中」であり、他人は自分に奉仕するために存在していると思っているようで、特に弱者へ配慮する心と言うのは、まったく育っていない。注意されても、その意味さえ理解できないように見受けられる。
また、「ボクちゃん、凄いんダゾ」症候群に冒されているのも多くに共通する特徴である。何しろ大物であった初代や先代の話を、子供の時から何かにつけて聞かされてきたものだから、そのイメージが頭の中に定着してしまっている。そのため、自分の力量を勘案せず、ついつい背伸びして、「ぼくちゃんだっておじいちゃんのようにすごいんだぞ!」と力みかえる癖が見に染み付いてしまっている。なにか目立つことをやりたくてたまらなくなる。たとえば、戦後60年、誰も手をつけられなかった憲法9条を「ぼくちゃんが改訂してやる」なんてリキミもその一つの現れである。
ともあれ、科挙の試験(東大法学部入試)を通ってきたお公家と、この生まれながらの金持ち貴族の自然体で変身したお公家さんは、出てきたところが違うとはいえ、同じお公家として共通項をたくさん持ってるから、互いに連合して、やりたい放題やることになる。政官財、三位一体である。
以下では、官の頂点にある旧大蔵省をとりあげ、行政権力の根を見ます。行政権の枠を決めるのは法です。法は国会が決める。国会議員は国民が、代議員制度で選ぶ。
国民主権で国民の権力が至高だというのは、形式論です。実体論では、国民は統治される者であり、中央官庁が統治者であると言っても過言ではなかった。
キャリア官僚を選ぶ国家公務員試験第1種(上級公務員試験)には、昨年
38,841名が受験し、合格は1,228名。32倍の狭き門です。(試験は、隋・唐時代の、官僚選抜の科挙の伝統を引く感じです)
約半数くらいは東大で、国公立、私立が続きます。毎年1200??1500名くらいのキャリア官僚が生産され、現在5万人が在庫されていると見ていいでしょうか。
合格者の一次試験、二次試験の順位で、省庁への順列的な割り振りが決まります。各省庁は、競い合って成績上位者の確保を運動します。なぜでしょうか? ここに官僚が生産する「商品」の特殊性が関係しているのです。
1回のペーパーテストの成績が、能力やその後の仕事の成果と、どう相関するか?民間企業では、ほとんど無関係というのが結論でしょう。
企業が販売するのは「商品」であって、文書作成や言語能力ではないからです。
官僚の作業能力、そして行政権力のもとになるのは、文書作成と法の解釈能力、及び利害の調整能力です。それ以外に、商品はない。
(3)彼らが「生産する商品は文書」である、と言っていいのです。
(1)マスコミや野党から突かれる隙のない論理で武装した文書を作って、
(3)説得的に説明し、調整するのが官僚の仕事であり商品です。
【上級公務員試験と入省年次】
上級公務員試験の成績順位と、入省年次がその後付きまとい、事務次官候補のエース組みが選ばれ、将来のポジションの序列を決めます。その意味での「実力主義」です。次官競争での落伍者は、天下る。
成績トップクラスの入省先は、大蔵省です。大蔵省のみは官僚の中の官僚で、特殊ポジション。
言語能力の優秀さで政治家と他の省庁を説得し、切れる頭脳で他を圧倒しなければならない。
(01年1月6日から、省庁再編で財務省になり、金融部分が金融庁に切り離されました。実態はさほど変わっていない。以下ではあえて大蔵省という、伝統的名称を使います)
なぜ、大蔵省がこの国で特殊ポジションであったか、理由があります。
(1)80兆円の省庁の予算編成、配分権を持つ。(主計局)
(2)国債の発行権を持つ。(主計局)
(3)残高414兆円の財投の配分権を持つ。(理財局)
(4)民間金融機関の認許可、指導権を持つ。(銀行・証券・保険局)
(5)税を決め、徴収する権限を持つ。(主税局・国税庁)
以上5つで、国家のマネーの出入りの急所、及び民間銀行マネーの急所を、押さえていたのが大蔵省です。
他の省庁は、大蔵省に対して、一段低い予算申請団体の位置です。
信じられない位の、権限の集中です。
大蔵省の官僚は国税庁を含めると8万人。1%の800名がキャリア官僚。どの省庁でもノンキャリアは、1%のキャリア官僚の支配下にある。画然とした、不文律の身分制度がある。
公式的には三権分立で、行政は法の執行であり、法と制度を決めるのは立法(国会)です。
ところが立法の実務、つまりほとんどの「法案、予算案の作成」は、各省庁のキャリアが行い、自民党の実力者との調整で決めますから、実質権力と言えるのです。
【予算委員会という場の機能】
最も重要な「予算委員会」で、予算の中味の審議が行われますか?そこで、予算が変わりますか? 決まったことを通す、形骸化した儀式です。テレビ中継を見れば分かりますね。
質疑の内容は、マスコミが取り上げた問題や、大臣、首相の発言の追求です。予算配分の調整が問題になった審議は、見たことがない。国会の各委員会は根回し、調整が終った後に、野党の顔を立て、国民とマスコミへに対するガス抜きの場になっている。
▼ここで蛇足的な逸話:民間銀行に対する恐怖型支配
ある銀行の支店に大蔵検査が入った。検査官に混じって1人、入省2??3年くらいのキャリア組みがいた。銀行にとって、大蔵検査は鬼より怖い。次長が応対した。新米キャリア官僚が、銀行業務のイロハも知らないような質問をした。
次長は「これはどこの銀行でも同じでして・・・」と説明した。キャリア官僚は、「他行のことを聞いているのではない。この処理の説明をせよ」と、怒り始めた。無知をさらしたことを恥に感じたためです。そのキャリアは、怒りで手を震わせていたという。
次長は、思わず「こわっぱ役人が・・・」と小声でつぶやいた。それが聞こえたのか、後日、銀行に、「貴行の**支店で不穏当な発言があった」と伝えられた。その次長は、数日後に銀行を退職した。
これに類する逸話は、多数です。当然、公式には明らかにならない部分です。法に基づかない、恐怖権力です。大蔵省の銀行支配には、恐怖権力が根にあった。
省庁にタテをつくと、他の認許可や検査、指導のどこで仕返しされるか分からない。これが、民間企業が行政へ恭順を示す理由になっている。法や税法は、字義通りの執行を行えば、企業を潰すことくらいはできるからです。生殺与奪の権がある。
私の狭い経験からも、十分に首肯できる話です。
(ソースは明かせません)
▼銀行の3分類
銀行の頭取と頭取含みの役員は、大蔵省系、日銀系、独立系に分けることができます。独立系に対する大蔵検査は、厳しくなる。(現在は金融庁)
大蔵権限の根は、銀行が破綻した時、国家が国民の預金を保証することです。つまり銀行は、民間企業として実態的には独立した法人ではない。真の株主は、大蔵省でした。
民間銀行が天下りを受け入れるのは、行政指導と認許可で有利な取り計らいを受けること、行政のインサイダー情報の、取得のためです。
銀行は、箸の上げ下げに至るまで監視されていた。
大蔵権力に90年代後期から陰りが見えたのは、大蔵省が銀行の不良債権問題の深刻さ、巨額さを見誤ったことに起因します。
1997年の第一次金融危機が起こるまで、大蔵省は不良債権の寡少見積もりをしていた。対策が後手に回り、銀行の信頼と民間の信頼を同時に失ったのです。
▼しかし今後の政策の、裏の意味を「憶測」すれば
【ペイオフの裏】
2003年4月から開始される「ペイオフ」も、大和銀行NY支店の米国債ディーリングの巨額損失隠し事件が表面化した1995年から、事毎に、大蔵省に反発してきた銀行への、意趣返しといった面を含んでいると感じますね。
【95年の大和銀行NY支店事件】
大蔵省(西村銀行局長)は、大和銀行に<損失隠し>を指示していたことは明らかになっています。しかし、米国SECに叩かれると、大和銀行が勝手にやったと押しつけた。行政のこうした時の指示は、口頭です。
大和銀行NY支店の損失隠しは、象徴的な事件でした。
【ここまで言うと、危険でしょうか・・・】
2002年4月からのペイオフの実施では弱体銀行に預金引き出しが起こり、日銀特融、または政府資金投入、合併が必要になり、再度、世論とマスコミをバックアップに官の権力拡大をする機会を狙っているように思えるのです。
信用金庫や地銀では、すでに、預金減少が現実に起こっています。
米国の銀行でも、事実上のペイオフは金融システムの混乱の害が大きいので実施していない。米国情報は、選択的に利用されます。
【不良債権問題の早期解決】
小泉内閣が掲げる不良債権の処理も、銀行の自己資本と利益での処理では不足することは、誰が見ても分かる。
金融のシステミック・リスクを避ける手段は、政府資金注入になる。分かり切ったことですね。
政府資金注入は、金融庁、大蔵省、日銀の権益、天下り先の拡大です。国民の金融資産を守るために「やむを得ず」そうせざるを得ないというふうになるのが、一番望ましい。
こうして、時代、時代の世論、マスコミ論調、学説を使い、予算をつけ権益の拡大を行うのが、省庁の自己肥大の基本手法です。
以上は「憶測」です。しかし憶測しか方法はない。
誰も、言わないからです。
世の中の事象は、実は、語られないことに重要なことがある。
ペイオフの後、不良債権処理の後、銀行の支配がどうなるかを詳細に見れば、憶測が正しいかどうかわかるでしょう。観察して下さい。
キャリア官僚の最終的な狙いを判断する時は、「推理小説の手法」が、役に立ちます。
「この政策と予算で、誰が、またはどのグループが最終的なゲインを得るか」との方法です。
(1)高齢化社会に必要な「福祉」→福祉予算の拡大(極めて強い)
(2)国土の「均衡」ある発展→公共投資・公的事業の拡大(弱い)
(3)不況対策→公共投資・公的事業の拡大(極めて強い)
(3)地方分権
(5)郵政三事業の、公社化から民営化
(6)年金への401K導入
これで、予算が動きます。具体策の起案は、官僚が行います。その時、世論・マスコミ・ガイアツをバックアップにした新たな公的セクターの、認許可、指導のための組織ができる可能性が高い。
現在、公的セクターでも就業人口が多い50代前半の世代の、今後の行き先が問題になっているのです。
(一部:30%)キャリア官僚は、組織拡大の戦略的技術者であると認識したほうがいい感じですね。
今後3年間で、77の特殊法人、及び2万6000の公益法人から選択して民営化される<骨太の方針>は決まっています。
2000年12月、森内閣の閣議決定で、民間への天下りが解禁されたのはご存知ですか?今後は、大臣が許可すれば、民間企業へ公然と天下りができるようになっている。
民営化された特殊法人、公益法人のトップに天下るための決定でしょう。有力議員が官僚に恩を売って、利権の範囲にあった特殊法人、公益法人の民営化をおこなうために、官僚との綱引きで政治的取引をした結果と言われていますね。
加えて、今省庁が狙っているのは、官の文書のデジタル化予算です。膨大な官の文書、図面のデジタルデータ化で、30兆円が見こまれている。当然そこには、民間会社の受注活動が絡みます。週刊ポストの「覆面座談会」で、キャリア官僚自身が発言している。<電子政府>の情報化予算を無駄だと言う人は、まだいない。
官であることが問題ですね。官が食うのは<税>ですから。