はてなキーワード: 教えて君とは
はじめは、書院で書いてた日記をフロッピー経由でパソコンに移して、ホームページビルダーにコピペするところからだった。
ソース表示の時に出てくる暗号じみた文字列内に、レンタルCGIのカウンターをつけるため、おっかなびっくり1行加える。
普段は全部GUI上で完結。ソースなんて可能な限り見たくない。
その後、DreamWeaver+Fireworks4のセットを1万円台後半で手に入れて(その後のVerでぼったくり価格に変貌)、画像のスライスを使えばどんなレイアウトでも作れるようになった。
近所の人から製作を頼まれるようになったので、お金をもらって作ることに。
そういう作業にようやく慣れてきたところで、どっかのエラい人が「今後はXHTMLとCSSです。コンテンツと装飾を分離します」と言っているらしい。
なんかそれをやらないと業者的にナメられる気配が濃厚。
仕方が無いので覚える。せっかく今のままでも普通に見れるのを作れるのに、めんどくさい。
というかこれ、GUIで作れないの?今時手打ちってどうなのよ。能率激減。
さて、それはそれとして。
プログラムやれたらもっといろんなことができるんだろうなあ、と思い続けて数年。
フリーのCGIに言葉の置換コードを1行コピペすることから取っ掛かりを得て、ようやくプログラムアレルギーをちょっとだけ克服。
その後さらに数年かけて、Perl・PHP・MySQLで目的の物をなんとか作れる程度まで覚えることができた。
で、今度は「美しいコード」だそうで。
メリットが無いと意欲も湧かないので、教えてください(教えて君)。
それにはどういうメリットがあるの?
教えて君ですみません。人力検索は好きでないので。あと、たぶん感覚的な問題なので。
主に携帯電話端末用の簡単な(50行程度)PHPスクリプトを置くために格安のレンタルサーバーを探して仮登録したんですけど、そこのPHPが4.4.6なんですよ。
とりあえず用意してるのがPHP4環境で作ったものなんで、問題は全くないのですけど、もうちょっと何かやろうと思ったときのためにPHP5使える場所にしておいたほうがいいんでしょうか?
昔触った感じだと、使いたい関数がPHP5にしかなくて何度か挫折したような記憶があるのですが、それも無理して敢えてPHPでやろうとしたからそうなったわけで、ひょっとしたらそんな重要なことではないのかもしれないという気もしています。
さくらのレンタルサーバのページを見ると、PHP4と5を選択できる機能なんてのも(最上位クラスには)あるようで、PHP4を敢えて選択するメリットが場合によってはあるということで…余計混乱しています。
もうひとつの候補として考えているところがPHP5.2.いくつからしくて、料金も年間\2000ってことでまあなんとか、いいかな、とも思っているのですが、今仮登録しているところの完全従量制(転送料課金)プラン(\0.5/MB &上限\350/月)にするとかなり格安にできそうで、捨てがたいんですよね。(そこには一応PHP5にバージョンアップの予定はないか、と問い合わせを投げてみてはいます。)なにしろ1日のPVがたぶん30いきっこないようなところなんで…。ちなみに無料のサーバーはやめておこうかな、という気分です。そもそも、以前入っていた無料のところが潰れたのが今回探している動機だし、主に携帯用なので広告入るとちょっと…。それに30日間更新しないと削除、なんてとこが(よさそうなとこには)多いし。
↑自己トラックバックである。2chみたいにトリップがつけられたらいいんだが。
私の客を見下した態度がお気に召さない面々もいらっしゃるようだが、あのような書き方であるから当然だとは思う。
実際のところ、勤務中の私は親切極まりない接客である。少し離れたところではあるが、高速バスのターミナルもあり、遠方へ帰る人も多い。手隙の時は、実際に連れていくことがある。私は世間で言うところの「鉄ちゃん」でもあるので、駅員でしかわからにような乗り継ぎにすら答えることもある。中には誰も知らないような雑居ビルの名前だけ聞いてくる人もいるが、そういう場合は「申し訳ありませんが、私どもは存じませんので、あちらにインフォメーションセンターがございます。あちらにお問い合わせください」という案内もする。
私が「愚か」だと思っているのは、あくまで私人としてである。当然そういった人たちも「潜在顧客」であることは承知しているし、困っているんだから助けになろうという考えも持ち合わせている。ただ、そういう人たちを公私を切り離して客観視したときに、それは愚かなことだと思うのだ。
「愚か」なことが表現として適切でないのなら「もったいない」とでも言えばいいだろうか。仮に私に答えることができなくて、その後駅員に尋ねたら目的地への行き方が得られたのだとしたら、少なくとも私と会話していた時間分はその人のロスである。((もうこの際私の時間が奪われたことはどうでもいい))さらに、私のところで尋ねてからインフォメーションセンターへ行くことが遠回りになってしまったのだったら、それは体力のロスでもある。落ち着いて辺りを見回していれば、あるいは余裕を持って下調べが出来ていれば、((その時にこそ、チャイの一杯でも飲めばいいのだ))無論それらができなかった不可抗力といったこともあろう。それらを考慮に入れた上で、すぐ人に頼ろう、という行動が私には浅はかに見えるのだ。
anond:20070126054602が引用した部分に「独立の気力なき者は国を思ふこと??ならず/学問ノススメ(諭吉)」
とあるが、私はちょっとした衝撃を受けた。私がモヤモヤと思い抱いていたことの片鱗を言い当てられたような気がする。
識字率の話を少し思い出した。たしか高校の英語の教材だったと思う。日本ではみんな字が読めるのは当たり前だが、諸外国では必ずしもそうではない、というような出だしで、黒人のおじいさんが、80歳だか90歳だかで字を覚えたのだという。
それはそれでハートウォーミーなお話だったが、その出だしの日本が誇る識字率というのは、今や誇れるものではない。いくらマンガの吹き出しや女性誌のゴシップが読めても((しかし私はマンガやゴシップは大好きである))案内板や地図は読めないのである。まあ、読もうとしてないんだろうが、これはここ数年で作られた言葉メディアリテラシーっていう単語の一番卑近なところじゃないか。案内板だって地図だってメディアだよ。テレビや新聞やインターネットだけがメディアじゃない。この延長上に納豆に振り回される事件もあると思うんだが。
識字が成熟したのなら、次はメディアの識字だと思うのはこれは我ながら浅薄だとは思うが、これを別に教育機関でやれっていうわけじゃない。今更恥ずかしいけど、親に言われた「人に聞く前に辞書を引け」だと思う。躾ってほどのものでもないけど、それこそ独力の気力
だと思う。ネットの界隈で教えて君が出てくると2レス目には「ぐぐれ!」でしょ? 私は電子辞書こそ持ち歩きはしないものの、いつも携帯でGoogleと暇つぶしWikipediaのお世話になっている。auはトップページからGoogleが使えるようになったので重宝している。人前で調べられないというけれど、何もビジネスランチの最中にそんなもの開かなくてもいい。電車で移動中とか、ちょっとした時間はいくらでもある。ただ、ぐぐったり、ネットで辞書を引いたりだと、その前後の言葉を知りにくい。本の辞書であれば、検索の課程でさまざまな言葉の意味を斜め読みするおもしろさがある。私はそれを後に「有益なノイズ」と名付けたが、Googleだとものにもよるが、大抵1番目か2番目の検索結果で満足してしまうことが多くて、そういう楽しみがないのは残念なところだ。