はてなキーワード: 学閥とは
●合格体験記を書く
僕は,今年の春に,高校生に読んでもらうための,合格体験記のようなものを書く機会がありました.高校のときに通っていた塾に,「合格体験記のようなものを書いて,高校生に勉強なり,受験の心構えなりのアドバイスをしてくれないか」といわれて,書くことになったわけです.
僕は,その文章の一部で,はっきりとこう書きました.現在においても,多くの企業は,新卒採用の際には,学歴を大きな判断材料にしている,と.つまり,学歴社会は,世間でいわれているほど崩壊しなくて,高偏差値で有名な大学であればあるほど,得をする可能性が高まるということです.だから,現在でも学歴社会が根強く残っている部分もあるという現状を知った上で,進路を決定したほうがよいと,僕は書いたのです.
●人物本位採用というタテマエ
「学歴不問」「人物本位採用」なんてことをいっている企業も多いようですが,こんなものは,結局のところ建前です.実際には,学歴が大きな判断材料になってしまうのが現状なのです.
もちろん,企業が昔のように大学名だけで選んでいるわけではないというのは確かだとは思います.求める人材像が大きく変わったことは人事担当者も十分に意識されているでしょうが,現実的に学歴に関係なく,その人の資質を見抜くのは至難の業らしいのです.
たとえば,いまは昔と違って,どんな大学の学生でも,希望する企業に応募できるようになっていることが多いです.しかし,実際にはインターネットの就職サイトに登録する学生の数が,数万人単位で,絞り込まざるを得ないらしいのです.面接をやるといっても,数回の面接で,その人を正しく評価するのは困難でしょう.
そうなると,結局は「どこの大学をでたのか」が大きな判断材料になってしまいます.確かに,大学は18歳時点での学力でしかありませんし,偏差値主義教育には批判があるのも確かです.しかし,「学歴で判断してどこが悪い」と考えている人もいますし,冷静になって現実をみると,学歴が企業の採用で重視されているのは事実です.
●学閥も残っている
また,公務員・公団・JR・電力会社・大手建設業など,利益が特権的に守られている企業や組織は,いまだに学閥が根強く残っていますし,今後も変わることはないでしょう.
しかし,やはり塾にとっては,都合が悪かったらしく,学歴に関する部分の記述をふせておきたいということでした.学歴にコンプレックスを持っている方は多いようですから,学歴のことをあれこれいうのは,タブーなのかもしれません.たとえば,塾生の保護者を怒らせてしまえば,確かにマズイかもしれません.
●結局,大人の都合じゃないか
しかし,学歴社会の事実に触れたくないというのは,つまることころ,大人の都合であって,高校生のためにはならないと僕は思うのです.極端な場合だと,学歴が大きな判断材料にされることを知らずに,就職活動をして,結果的に全滅してしまって,やる気を失い,ニートやフリーターになってしまうケースもあるとききます.
まとめ
●合格体験記を書く
僕は,今年の春に,高校生に読んでもらうための,合格体験記のようなものを書く機会がありました.高校のときに通っていた塾に,「合格体験記のようなものを書いて,高校生に勉強なり,受験の心構えなりのアドバイスをしてくれないか」といわれて,書くことになったわけです.
僕は,その文章の一部で,はっきりとこう書きました.現在においても,多くの企業は,新卒採用の際には,学歴を大きな判断材料にしている,と.つまり,学歴社会は,世間でいわれているほど崩壊しなくて,高偏差値で有名な大学であればあるほど,得をする可能性が高まるということです.だから,現在でも学歴社会が根強く残っている部分もあるという現状を知った上で,進路を決定したほうがよいと,僕は書いたのです.
●人物本位採用というタテマエ
「学歴不問」「人物本位採用」なんてことをいっている企業も多いようですが,こんなものは,結局のところ建前です.実際には,学歴が大きな判断材料になってしまうのが現状なのです.
もちろん,企業が昔のように大学名だけで選んでいるわけではないというのは確かだとは思います.求める人材像が大きく変わったことは人事担当者も十分に意識されているでしょうが,現実的に学歴に関係なく,その人の資質を見抜くのは至難の業らしいのです.
たとえば,いまは昔と違って,どんな大学の学生でも,希望する企業に応募できるようになっていることが多いです.しかし,実際にはインターネットの就職サイトに登録する学生の数が,数万人単位で,絞り込まざるを得ないらしいのです.面接をやるといっても,数回の面接で,その人を正しく評価するのは困難でしょう.
そうなると,結局は「どこの大学をでたのか」が大きな判断材料になってしまいます.確かに,大学は18歳時点での学力でしかありませんし,偏差値主義教育には批判があるのも確かです.しかし,「学歴で判断してどこが悪い」と考えている人もいますし,冷静になって現実をみると,学歴が企業の採用で重視されているのは事実です.
●学閥も残っている
また,公務員・公団・JR・電力会社・大手建設業など,利益が特権的に守られている企業や組織は,いまだに学閥が根強く残っていますし,今後も変わることはないでしょう.
しかし,やはり塾にとっては,都合が悪かったらしく,学歴に関する部分の記述をふせておきたいということでした.学歴にコンプレックスを持っている方は多いようですから,学歴のことをあれこれいうのは,タブーなのかもしれません.たとえば,塾生の保護者を怒らせてしまえば,確かにマズイかもしれません.
●結局,大人の都合じゃないか
しかし,学歴社会の事実に触れたくないというのは,つまることころ,大人の都合であって,高校生のためにはならないと僕は思うのです.極端な場合だと,学歴が大きな判断材料にされることを知らずに,就職活動をして,結果的に全滅してしまって,やる気を失い,ニートやフリーターになってしまうケースもあるとききます.
まとめ
結局のところ、日本の指導的ポジションにいる老人達は円環的時間のなかに子どもを閉じ込めて、自分達の予期可能な範囲のことしか出来ない人々だけを生産したいってこと?
イノベーションとか口先だけだよね。社会を変革できるような人材、したいような人材は、叩き潰したいと思ってるんじゃないかというか。もちろん、子どもの親は、彼ら老人より若いので老人達とは考えが違うので、信用されていないし、決定権も奪われている。「モンスターペアレンツ」って、要はそういうことだ。親としての当然の権限・権利行使にはモンスターのレッテル。
梅田もっちーとか、エンタメとしては読まれても、あそこで肯定されているような人材がうまれやすい環境作り、なんて話は、フルボッコで否定だよね。うちの会社も、もっちーを社内講演に呼ばなくなったな。もっちーから切った可能性もあるが、どうも会社的にああいう話は禁句になったっぽい。一次元の価値観の中で、ある層以上は官僚か大企業サイコー、地方では地方公務員か教員、これ。そこからこぼれそうな人達は、それなりに。さらに下に非正規雇用。「けものみち」なんてものは、あってはならない。あったら生コン流し込んでおけ。「学習の高速道路」?日本にあるのはアメリカのフリーウェイじゃなくて、料金所がたくさんある有料道路。そして、学歴という通行許可証を集めないと、通ったことにはならない。
そして、ネットのコミュニティ、なんてものからは子どもを切り離せ!!!という大合唱。もちろん、大人になっても、ネットのコミュニティに参加しない、参加しても二次的、というのがいいこととされている。コミュニケーションは、地縁・血縁・学閥・職縁つながり。結婚はもちろん、そういう縁つながりの見合いが恋愛結婚より格上、ネット恋愛とかは論外、という価値観。
それで、どう世の中みんなが食っていけるのか、よく分からんけどさ、経済のパイを増やすよりも、そういう序列と秩序の維持のほうが上、という空気が、最近満ち満ちているように感じる。
学歴コンプレックスについての議論が「学コン」とのあやしげな略語(俺は大学への数学を思い出して苦笑いしかできない)まで飛び出すほど盛りあがってるが。http://anond.hatelabo.jp/20070223011440が源泉?
コンプレックスというのは非常に厄介だ。突き抜けた有名人になればコンプレックスを抱く対象にはならないが、同じコミュニティで対等に接している限り、劣等感を感じている者は、劣等感を呼び起こす対象に対して心穏やかにいられない。小学校の地元リーグで活躍する野球少年は、イチローに対して劣等感を覚えることはないが、年下の仲間に数値的な成績で負けているとしたら、これは劣等感になるだろう。コンプレックスとは少し違ってくるかもしれないが、すこし感覚はわかっていただけただろうか。
俺は大学を卒業してはいないので、社会の中で学歴コンプレックスを引き起こす存在ではないが、一流私大卒の新人が先輩社員に飲みの場で理不尽な皮肉などを言われている光景はよく目にする(ここではコンプレックスを抱く側とされているが、明治や中央は世間一般の大半の無名企業において一流大学であることを忘れてほしくはない)。
ところで、いわゆる超一流の企業においては、今度は学歴は全く問題でなくなっている。俺の経験では、高い成績を日常的に産み出している連中は、自信というような概念自体を忘れてしまっているように見える。学歴という感覚は無く、せいぜい初対面の話題として利用しているくらいではないだろうか。そこには林業関連の高校卒業?なんていうのも居たが、大学名を聞かれて「当然、東大ですよ。ウソです。チェーンソーの使い方を高校で習って大学は行ってないです」などと答えていた。特に面白い冗談だとは思わないが(毎度同じことを言うので身内の中ではオヤジギャグ扱いだった。まだ30歳に達していないが。)、そのような冗談の中でしか学歴の感覚が登場してこない。関心の対象は、いかに新しいものを生み出すかにしかなかった。ちなみに彼は、そのあと営業代理店業務を行う会社を立ち上げて独立し、しかしゆっくりと過ごしている。
高学歴であったり、高い能力を誇る人間は、コンプレックスによるやっかみや嫌がらせを避けるためにはこのようなコミュニティを選ぶしかないのだろうか。ある種の対人テクニックを身に着ければ(このような対人テクニックを総称して世間ではよく「謙虚さ」と呼ぶようである)コンプレックスの対象にもならずに過ごせるかもしれないが、そんなものを社会に出る前に得られる保障は無いだろう。大学でサークルなどに入れば先輩が教えてくれるものだろうか?会社内ですら、同じ学閥の先輩が後輩にそのようなスキルを伝授している風景は目にしないのだが。まぁ俺には最近の大学内での「意識の高い学生」同士の交流の様子はよく理解できていないので、多くは語れないが。
上に書いたような「コンプレックスの存在が希薄なコミュニティ」は、多くの場合特殊な場ではないかと思う。実力主義の中小ベンチャー企業でも学歴コンプレックスは明確に存在することが少なくない。職人業的な、極めて少人数の家族的なコミュニティか、もしくは突き抜けた実力を持つ人間が集まった企業のようなエリート集団にでも居ない限り、コンプレックスの意識を避けるのは難しいんじゃなかろうか。
ただ、後者のエリート集団に所属すると、今度はエリート集団自体が回りの他のコミュニティから「排他的」だとか「エリート」だとか言って揶揄されてしまう。確かに、コンプレックスを抱きうる常人があんなところ(俺が経験したのはせいぜい2社だが)に居たら、いくらか経験を重ねてしまっている場合は特に、一緒にやっていくことは難しいだろう。呼吸をするように物凄い仕事量をこなしていることを当然のように求められるから、普通はついていけない。俺も到底無理だったので「癒し系キャラ」役に逃げることでどうにか居場所をつくっていたような。なんであんなとこで働こうと思ったのか、いまではぜんぜんわからんw
コンビニで表紙につられて立ち読みする雑誌で「また外資系か」とか「ワーカホリックで人生楽しいの?」とか書いてるのを読むと、どちらもいろいろ大変だなぁと、余計なお世話だし「お前が言うな」なんだが、変な同情をしてしまうよ。
ちなみに俺自身は特別優秀でないし成果も全然出してないし、自分が落ちこぼれなのが当たり前だと思って生きてきたからコンプレックスは感じない。傲慢になろうにももともと何も誇れないので、そもそも「謙虚になる」かどうかという選択肢など無いような状態w