はてなキーワード: 力学とは
力学で「モノが上に落ちることもあるよね」と言われて認めるに等しい
これはありえるよね。
もし子供に
「物ってお空に向かって落ちることってないのー?」って聞かれたら、
「そんなのありえないよ!下に向かっていくから落ちるっていうんだよ!」
みたいな答え方して終わり?
力学では物が下に落ちるという観測は再現性があるからその理由をわれわれは知ることができたし、
その理をもちいれば上に物をおとすこともできるということも知っている。
経済では観測が再現性をともなわない統計的なものでしかないから、
気圧と天気の因果関係レベルの体系化しかできていないのではないかな。
経験則から天気には湿度も関係あるだろ?と横槍をいれただけで、
話しが迷走しちゃうのではないか。
経済という天気を構成する要素はいろいろあるのに、なにか経済を”勉強”したひとは
視野狭窄におちいっているように傍からはみえてしまう。
お金にまつわる社会の話だから、どんな人でも経済についてはなにかしら意見を持ってる。対して、経済学(特にマクロ)は直感や常識に一見反する知識が初歩からバンバン出てくる。リテールの銀行にとって預金は借金なんですよとかそういうやつ。それでよくこうやって揉めるんだよ。
前提を崩すのは、力学で「モノが上に落ちることもあるよね」と言われて認めるに等しいことが多いから、おいおいできるもんじゃない。それを認めだすと最後には大抵「やっぱり愛だよね」みたいな愚にもつかない結論に落ち着く。
ただ、相手にもわかりやすい例えを使ってうまく説明できないとしたら、それはされる側じゃなくて説明する側の能力の問題で、頭が固いと言われるのはそういう意味で事実です。俺も経済の人ですが。
http://anond.hatelabo.jp/20070801010448
自分のダイアリーに書こうかと思ったけれども、いろいろ微妙な部分もあるので増田に書きます。
そのうち、最初のうちは緊張感もあった同期の間の関係も崩れ始めてきた。だが、打ち解けてきたというようなものではない。いつまでもだらしなく騒いでいる奴らが、ただひたすら馴れ合うだけの、吐き気がするような空間。そんな中での連日の飲み会の誘いを断るのはそれだけで気疲れだったし、行けば行ったでプライベートなことを根掘り葉掘り聞かれて不愉快な思いをさせられるだけだった。彼らは人に「空気を読め」と言いたがる割には、ノリの合わない他人に気遣いをする気なんか最初からさらさらないのだった。といって、「同期の絆は人脈として大切だ」と言われている以上、これも仕事上の付き合いなのだ。嫌われるような行動はとれない。まるで手足を縛られたようでどうしたものかわからず、困り果てていた。
研修も半ばを過ぎ、配属先との顔合わせやそこでの飲み会なども経験した。そうして再び優秀な上司や先輩と再会した頃、ようやく俺は気付いたのだった。あまりにも鈍感だった。俺の採用された部署はこの会社の中のエリート部隊だったのだ。なまじ有名企業だから勘違いしていたが、新入社員がみんな優秀なんていうことはなかったのだ。暗黙の「幹部候補生」と「兵隊」の振り分けは間違いなく存在し、前者はほんのごく少数なのだった。
時が経つにつれ、だんだん俺を取り巻く周囲の目は冷たくなり出したようだった。俺の「付き合いの悪さ」が嫌われていたのかもしれない。実際、飲み会に行かない奴はいい奴であってもことごとく「空気の読めない奴」だとか「自己中」だとか陰口を叩かれていた。あるいは、奴らも社内のヒエラルキーに気付きはじめて嫉妬をはじめたのかもしれない。たまに飲み会に顔を出そうものなら、だんだん「お前、将来は高給取りになるんだろ」などと遠回しな当てこすりを言われるようになってきたことからそのことはなんとなく想像できた。
一つ心に留めておきたいのは、そういう人材であれ「会社の上層部の人間が時間と労力と多額の費用をかけて多くの応募者の中から厳選して何らかの理由で選び抜いた」ということです。
でも私の友人も「周囲の人間が仕事ができないので自分のところにばかり業務が回ってくるので死にそう」ということで最初の会社を辞めているので、会社の上層部の人間が時間と労力と多額の費用をかけてあんまり優秀でない人を選び抜いているということはあると思います。
それは新入社員の過半数がコネクションで採用されているとか、あるいは人事部長が某宗教団体の人間であるとか、そうなってしまう理由はいろいろとあります。
どうしてそういう状態になってしまっているかは一考の余地があると思います。
http://anond.hatelabo.jp/20070801132344
↑この方の意見に全面的に賛成するわけではないのですが、
そのうわさの出所はどこか分ったのか?
同期でグループが出来ていなかったか?仕切ってる人がいなかったか?君のような“エリート”が他にもいなかったか?彼らの人間関係はどのようになってた?
この辺の集団力学についてもきちんと把握しておいた方がよいのかな、とは思いました。
男のが理系に向いてる、とか聞くと嘘くさいと思ったりしてしまう理系。
うちのクラスの女子は全員数学大得意人間ばかりで(多かれ少なかれみんなそうだが)、力学系教科はダントツ女子が強いとこ見ると、男女関係ないとしか思えない(か、逆に女子のが実は向いてるとか)。もちろん、わざわざ(女子ながら)理系来た人間だから特に数学が得意な人間ばかりなんだろう、といわれるとそうかもしれない。
そもそも大学レベルで男女の差云々いっても仕方がない気がする。おそらく個人差の方が大きい。
何故工学部にくる女子が少ないのだろう、という話題が出ること自体が、女子が少ないことの理由なんだろうけど。
呉市振興委員会:元の増田女史の話と無理矢理(嫌な感じで)絡めると
メンヘラ萌えの話で言う、フェティシズムでも恋愛市場的な何かでも集団の力学でも、たまたま好きになった娘が病んでいた訳でもないポジションとは何でしょう? おそらく、セックスを提供せねば好きになってもらえないとか、言うことを聞かないと酷いことをされるであろうとか、そういった(まさしく)自己評価の低さ・心的外傷につけこんで関係を持つパターンがありそうです。わざわざメンヘラを選ぶ男性には、このパターンが結構な頻度でいるとしたら、一体何事なのでしょうか。男性の性的搾取者としての実感は前面に出ず、女が自信回復の為に望むからセックスしただとか、あるいは恋愛の力で病んだ女を救ったと解釈しているのでしょうか? もしくはもっとシンプルに、女子供の弱さを強調することにより、己の強さと男性性を際立たせることが可能であり、なおかつ両者を等号で結んで無敵ゾーンに go! *1出来るからかもしれません。
メンヘラ女子として実体験からこの現象について言及してみますと、確かにこういう男性っていやらしいのは事実なんですが、否定されるべき存在でもないのかもと思うのです。
こういう男性に徹底的に見下されると「なんで私ここまで見下されなきゃいけないんだろ?」と自己卑下についての疑問が出てきて、案外自己評価を見直すきっかけになったりします。
また、それに気付いて「なんでそこまで見下されなきゃいけないの?私の自己評価の低さにつけこんでそういう扱いをするのひどいよ!」とちゃぶ台をひっくり返してみると、こういう男性ってもともと悪気があるわけじゃなくて単にそういう構図に無自覚であるだけの場合も多いので、自覚を促すことできちんと反省して以後の対応を改善してくれることもままあります。
翻って、最初から「メンヘル女なんて面倒だから近寄りたくない」というような男性とは、そもそも接触の機会がないのでいつまでも溝は埋まりません。
この辺は「しない偽善よりする偽善」というか、ボランティアな人々を「所詮自己優位性を確認する自己満足のためにやってる人たち」と一律に非難することの愚かしさに通じる気がします。
まず初対面の人と会って話すのが苦手な人にとってはオフってハードルがあると思う。
それに加えて、人間関係とかコミュニケーションとか政治とか力学って2人の場合と3人以上の場合と、複雑さが全然違うよね。
それに加えて、俺が知らずに飛び越えてるハードルもあるだろうしね。
だからオンラインで信用できると判断した1人と一対一で会うのがcommunicationのハードルは一番少ないはずだとは思う。別にオススメはしないけどね。俺は人にオフをすすめようとは思わない。俺個人もオフ会好きなほうじゃないと思うしね。
ただ魅力的な個人とは会いたい。あたりまえでしょそれは。
でもそれはそれで、グループとはまた違う要素(危険性も含めて)も生じるけどね。
いずれにせよ、未知に飛び込むのは勇気いる。自分は強者と信じて疑わない俺でさえ、周到な安全策を講じた上で緊張しつつ出向いて、実際会ってブログのとおり優しい方だと理解して安心して、ようやくリラックスして、個人的にはとても楽しく食事と歓談ができた。しかし先方はどう感じてるか、どのような感想を抱いたかは俺には永遠に解らないこと。大原則として人の心は解らないし、一回あっただけじゃ何も解りゃしない。
インバイと罵られる前に、自らインバイだと言ってしまった方が楽なのだ。
その後の部分にはこうある。
もちろん、自虐をしておけば差別的な人間が納得するからというのもある。差別、侮蔑をして当然と思う人々は、こちらが適度に自虐をしておかないと、インバイのくせにという侮蔑を、隙あらば投げてくる。インバイはそのことを百も承知。だからたいていの風俗嬢、元風俗嬢はそれを明かして何かを言うとき、自虐、自嘲をする。
前の部分とあわせて、私なりの理解でパラフレーズするなら、風俗嬢・元風俗嬢は論争をする際に、相手のリアクションを先取りして牽制しておくことによって、侮辱から自分の心を防衛すると同時に、議論の作法に基いた「批判」ではなく、愚にもつかない「侮蔑」をされる可能性をできる限り下げているのだ、ということになる。
はいはい。もちろんそこも読みましたとも。
で、それを『私なりの理解でパラフレーズするなら』、そんなんただの思いこみつーか言い訳だよね、ってことですかね。自分が卑怯者であることから眼を閉ざすための言い逃れにしか聞こえません。それとも「全ての風俗嬢・元風俗嬢」にアンケートでも採った上でゆっきーはこれ書いてるんですか、と。自分が全風俗嬢の代表になったような言いぐさで何を言ってるんだこのバカは、ホント。だから触れる必要を全く認めなかったし、言い換えればそこを無視してあそこだけ引用したこと自体がワタシなりの「読み」だという主張でもあったわけですね。「風俗嬢は……するものだ」みたいな言いぐさ、嘘くさくて嘘くさくて。そんなものを信じてやるなんて、随分お優しいことで。ワタシに言わせれば、彼女が「元」であろうが「現」であろうが、そんなものは彼女が自分の頭でこしらえた世界でしかないし、そういう勝手な世界観・人間観の下に、他者に対して攻性防壁を建てて、自分はその安全な城壁の上から下を通る人にタンを吐きまくって、眺めてる人間に「何見てやがんだこのヤロ差別だ」ミサイルを打ち込んでくるような○○が信用できないのは言うまでもないことですよ。
そもそもねえ、個人と社会では社会がでかいから何をしてもいいんだー、なんて、'70頃にはそういう青臭い連中が街中に群れ集って石とか投げまくってたそうですね。で、それで社会が何か一つでも良くなりました?その程度の現実認識を「吐き気を催すほどの現実の作用力学」と仰るなら、そこからさぞかし素晴らしい成果が生まれたことかと思いますけれども残念ながらそういう結果は生まれなかったように見受けますね。その辺どう思ってるのかしらん。それに今回攻撃されたのは単なる「一主婦」であって、社会というにはほど遠いし、ましてそれが「対話の回路を開く戦略」だなんて、もはや現実を遠く離れた蜃気楼でも見ているんじゃないかとしか思えません。一体ありちゃんとゆっきーの間にどんな「対話」が生まれたと?あるいはあればあるべき「対話」だったと?
まあ「チラ裏に書け」とは言わないけど、最低限書いてることの筋は通して欲しいなあ、と。いくら匿名でもね。まあその辺、元風俗業の片隅で仕事していた人間からのお願いでした。まる。
インバイと罵られる前に、自らインバイだと言ってしまった方が楽なのだ。
その後の部分にはこうある。
もちろん、自虐をしておけば差別的な人間が納得するからというのもある。差別、侮蔑をして当然と思う人々は、こちらが適度に自虐をしておかないと、インバイのくせにという侮蔑を、隙あらば投げてくる。インバイはそのことを百も承知。だからたいていの風俗嬢、元風俗嬢はそれを明かして何かを言うとき、自虐、自嘲をする。
前の部分とあわせて、私なりの理解でパラフレーズするなら、風俗嬢・元風俗嬢は論争をする際に、相手のリアクションを先取りして牽制しておくことによって、侮辱から自分の心を防衛すると同時に、議論の作法に基いた「批判」ではなく、愚にもつかない「侮蔑」をされる可能性をできる限り下げているのだ、ということになる。
つまり、論争を適切な仕方で行うために、戦略的な観点から、必要がなければしたくもない「自虐」「自嘲」をしているのだ、と言っている。
それを
簡単だ。それは自分が「差別する側」にまわってるからに過ぎない。自分で自分を差別するのは簡単なことなのだ。いじめられた子供が良くやってるように。自傷や自殺を「当てつけ」として行うように。
などと、自意識の問題にしてまとめてんじゃないよ。そんな風にまとめてしまうのはお前が(yukiのひとに限らず)他人のことなんか人間とみなしてなくて、自分の内面が自分の判断基準に照らし合わせて美しいかどうか、という問題にしか目が向いてないからだよ。
個人と社会では社会の方が大きい。だから戦略は社会の存在を前提にして、その中から可能な選択肢を考量して選ばれる。まるで個人の思いなしが社会を大きく動かすような発想をする奴は現実が見えていないバカだ。そして綺麗事が言いたいのであれば、吐き気を催すほどに現実の作動力学をしっかり見据えなきゃだめだ。
ゆっきーは、自虐の行為が、差別と同じく他者への「攻撃」に他ならないことを本当に気付いてないらしい。「攻撃された」ことを理由に「攻撃仕返す」ことを正当化している限り、「他者の攻撃」を批判する権利が無いことにも気付いていないらしい。痛々しいことだ。
この部分も、自意識過剰の観念野郎らしい言い回しで反吐が出る。自虐が他者への「攻撃」? 自虐することで差別の構造を温存しているから? 「攻撃された」ことを理由に「攻撃仕返す」ことを正当化している限り、「他者の攻撃」を批判する権利が無い? 攻撃されなきゃ痛みに気が付かない奴に攻撃し返すことで対話の回路を開く、というのもまた「戦略」だろうよ。単に感情をすっきりさせたくてやってるわけじゃないはずだ。
まあ、こんだけ言っても多分わかんないだろうな。
くりかえすけど、多分あなたは自分の心の在り様がどのようにすれば美しくあることができるか、にしか関心がないようだから。そういう人間は、いちいち他人のやっていることの「内面」を想像して、自分の考えた倫理的見地から下衆な裁断を下さないようにした方がいいよ。恥ずかしいからさ。
一言でいえば「チラ裏にでも書いとけカス」。