はてなキーワード: 下層階級とは
だって一行ごとに変なこと言ってんだもんよw
村の掟とかのレベルまで制度に含める気か?
そりゃ含めるだろ。でないと近代法治国家が成立するまで婚姻制度がなかったってことになっちゃうぞ?
西洋では擁護されるべき「子供」という概念が発明されたのは、産業革命の後。
性的自己決定能力があるかどうかは、かつて社会が14歳をどうみなしていたかとは独立だろw
ニュートンが発見する前から万有引力の法則は成り立っていたんだぜ?
相手の意思がそこにあるか無いかの判断基準。それだけ。
恋愛結婚以外では本人の意思はない、というのは十分にイデオロギッシュだと思うぞw
頭悪い子? 彼がどういう情欲を抱いていようがそんなこととは関係なく、別にキモくない、と言ってるんだが。
根拠にもなんにもなってねえw 少なくともかつては立身出世のために幼い娘を使う親は結構いただろうな。
うわあ、久々に一行ごとに引用してレスしてくる粘着を見たよwww
頑張ってレスしてみようw
いやいやいや、婚姻制度はあったっしょ。当時でも。法的なそれでなかっただけで。
俺は明確な制度は無かったと思うよ。あったと言うなら、ソースをくれ。
村の掟とかのレベルまで制度に含める気か?
>寿命も短く、結婚も早かった当時は、今よりも14歳の女性に人生に対する判断能力があったと思う。
それ論理としておかしくねえ? 医学の発展その他で平均寿命が伸びたり、社会構造の変化で結婚年齢が遅くなると、それにつれて人間の精神的成熟が遅くなる、という主張なの?
西洋では擁護されるべき「子供」という概念が発明されたのは、産業革命の後。
それ以前は、労働できない「幼児」と、「働き手」の分類しかなかった。
相手の意思がそこにあるか無いかの判断基準。それだけ。
恋愛感情があったというのは、少なくとも本人が拒否していない証拠にはなる。
お前がロリコンはキモくない、の例として秀吉をあげて来たんだろうがwww
それじゃ、そんな例を出すなよwww
親公認であるかどうかと欲望が一方的であるかどうかには関係ないよね。
これも、俺があげた3つの条件の判断基準。
認める親なんて、非常にレアケースでしょ。
そういう事例、ここ30年くらいとかであったらあげてみて。
http://anond.hatelabo.jp/20080629214911
こんな増田があったので便乗して。
都会にはいろんな人がいる。10段階でいえば都会には0から10までそろっているが、田舎はせいぜい2から7までといった感じ。
はっきり言って都会の方が階級制度が厳しいのではないかと思うほどだ。収入によって住める場所が決められてしまい、さながら現代の部落差別のようである。
そんな都会に住む下層階級の人たちにの不満が上の階層に向けられないように、うまくメディアの情報などを使ってコントロールされているのではないかと思うのだ。「上見て暮らすな、下見て暮らせ」的発想である。東京発のメディアでは、大阪の悪い面を強調して報道してみたり、地方を見下すような報道をしてみたりと、首都圏以外のあらゆる地域が引き合いに出される。その結果、東京の人には異様な自尊心があるのではと思う。
ところが実際の所、地方の人たちは都会に住んでいるというだけで憧れたりはしない。都会の人からしてみればものすごく不便に見える生活でも、そこで生まれ育った人にとってはそれが普通だし、実際自動車さえあれば田舎でも普通に暮らしていける。むしろ、のどかな地方で育った人が、都会のあまり生活水準の高くない地域を目にしたとき、「こんな所に住むくらいなら…」みたいなことは地方から出てきた誰もが感じると思う。
地方の人々にとっては別に何の関心の対象にもならないのに、都会の下層階級の人々の不満のはけ口にされて、ちっぽけな自尊心のためにわざわざ喧嘩を売られて、いい迷惑なのだ。
時々「東京というブランド」という表現を目にすることがあるが、正直これはどうかと思っていた。だが、都会に住んでいるというだけで何の取り柄のない人でも田舎をバカにできるほどの自尊心を持っているのではないかと思うようになってから、この表現もあながち間違いではないなと思うようになった。
少し話を変えよう。いまだに鳥取と島根の位置関係がわからない人が多い。地元の人はこんなことで日本は大丈夫かと心配しても、これから首都圏の人口が増えれば、知らなくて当然のような雰囲気にもなりかねないし、今のおバカブームに見られるように、知らなくても恥ずかしいことではないとメディアが煽るので、日本全体の知識レベルがどんどん下がっていく。
なにしろ、どうせこれからも人口は都市部に集中し続けて、いずれは都市人口だけで全国の人口の過半数を占めるようになると予想されているわけだから、地方の人から反発を買うような報道をしても、都会の非知識階級をうまくコントロールできさえすれば、支配階級は安泰なのだ。知識階級の人が地方をバカにするような発言も時々あるが、その発言のすべてが彼らの本心だとは私は思わない。都市の非知識階級は知らず知らずのうちに支配階級の都合のいいように洗脳されてはいないだろうか。
最後に一言。別に「大都市東京の一員である」という誇りをもつのはいいことだが、それを唯一の拠り所にして他人を攻撃するのは、巡り巡って自分のためにならないから、おやめなさい。
まあこういうの真に受ける人っていなくならないと思うんだが
多くの人が、騙されているのには驚く
カースト(caste)、あるいはカースト制、カースト制度は、ヒンドゥー教にまつわる身分制度である。紀元前13世紀頃に、アーリア人のインド支配に伴い、バラモン教の一部として作られた。カースト制度によって定められる個々の身分もカーストという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88
紀元前13世紀頃、西から移動して来たコーカソイドのアーリア人が原住民族のドラヴィダ人を支配するためにカーストを作り出した。そして自らを最高位の司祭・僧侶階級に置き、ブラーフマナ=バラモンと称したのが始まり――というのが現在主流の学説。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%83%B3
こういうのを放置しておくのはさすがに問題だろう
ウィキペディアというのがどういうものかよく知らないのだが
何故誰も訂正しないのだろうか
運転手はアメリカ黒人に近い褐色の肌をした、ドラヴィダ人だった。ドラヴィダ人は、紀元前2300年ごろ、モヘンジョ・ダロやハラッパなどの古代都市に代表されるインダス文明を築いたといわれる民族である。その後紀元前1500年ごろに中央アジアから侵入したアーリア人に押され、混血を繰り返しながらも主力は南インドへと移動した。インドに侵入したアーリア人の『リグ・ヴェーダ』には、「皮膚が黒く鼻が低い先住民を打ち負かした」とあるから、アーリア人は色白でドラヴィダ人は黒かったのだろう。今でも北インドの人々に比べ、南インドのほうが浅黒く鼻が低く背も低い。あごも小さくどこか親しみを憶える顔である。
親しみを感じるのは個人の勝手だが、偽の歴史を疑いもせずに書くのは問題だろう。何故疑うということをしないのか。
ナーマギリ神殿の本堂は、石で建造された二十メートル四方ほどの小さなものであった。
神殿入口の鉄扉の前に並ぶ信者を上半身裸の眼鏡をかけた祭官がとりしきっていた。このバラモンが、色白の上、胸も背も欧米人のごとく毛むくじゃらなので驚いた。東ヨーロッパ人と同族のアーリア人が、二千年以上も前にバラモンとなった事が証明されているようだった。同一カースト内での婚姻をはじめとする、カーストの掟の厳しさを思い知らされたような気がした。
証明もされていないニセ科学を、軽々しく「証明されたようだった」、とか言うべきではない
「そこで登場したのが、最近のDNA、遺伝子工学を駆使した研究です。詳しい事は省きますが、この研究は、アメリカのソルトレイク市のユタ大学とインドのアンドラ大学文化人類学部とヴィザカパトナム遺伝子研究所の合同チームによって進められました。1996年に南インドのカースト別人口分布調査として始められ、2001年までに全インドから集められた遺伝子分布を最新技術を用いて分析し、その結果が徐々に明らかになってきました。(中略)その結果、これまでの人家分類学、言語学、考古学などでは掴めなかった事実がわかってきたのです。たとえば、ブラーミン上位カーストとヨーロッパ人のミトコンドリアDNA、Y染色体の差は、低カーストインド人とヨーロッパ人の差より小さい。また、ブラーミン上位カーストとヨーロッパ人の差は低カースト民とヨーロッパ人、また上位カーストとアジア人との差より小さいということが判明しました。
結論を言えば、インド人カーストは原アジアタイプと西ユーラシア混合タイプだということであり、カースト序列はヨーロッパ人種への近縁性に依るということが分かってきました。上位、特にブラーミン階層はアジア人よりヨーロッパ人種により近く、クシャトリヤ、ヴァイシャ・カーストとの近似は前二者より低いのです。つまり、ブラーミンは西ユーラシア人種により近いということなのです。
このDNA調査によってもアーリア種族が外からやってきた人種であり、彼らが作ったカースト制度の最上位を占め、一貫して文化、社会的優位性を保持し続けてきた事は明白です。彼らが来るまでカースト制度なんかインドには存在しなかったのです」
「これらの研究結果は1998年の世界的に有名な権威ある科学雑誌ネイチャーに発表され高く評価されました。また2001年には、これも有名な雑誌ゲノム研究に、インド人原住民の遺伝子学的証拠と題して掲載され、これも高い評価を受けています。ですが、こういう現象を面白く思わない人々もいます。たとえば、高級英語雑誌インディヤ・トゥデイなどは遺伝子でカーストの上下を決めて良いのかなどと題して批判し、あるものは、そんな研究は無視しろと言い、高名な学者の一人は『遺伝子情報でヴェーダ時代にアーリア人がインドに入ってきたなどどこで判るのか?』などと反論したりしています。
大企業経営者のほとんどが上位カーストグループであるインドの雑誌、新聞、テレビといったマスメディアはこの遺伝子研究の成果に冷淡かつ敵意を抱いています。しかし、アーリア種族が外来人であることはそれ以前から、歴史学、考古学、言語学上の研究によって広く知られている事実です。その正しさを別の方法で論証して見せたわけで、アーリア種族をどうのこうのというために研究したわけではありません。
ある雑誌は『遺伝子まで動員してカースト戦争を引き起こそうというのか?』などとまるでピント外れの非難をしましたが、とんでもない言いがかりです。」
「不可触民と現代インド」p106
正しくは次のような捉え方
アーリア人という鼻の高く色白の人々が外からやってきて、色の黒くて鼻の低い原住民を征服し、隷属させたのだ、そういうことが、お前達の聖典には書いてある。だから、我々お前達の上流階級と同じ白人が優れた文明を広めるのと同じだ、という文化工作をおこなったのである。さらに、南の人々は、北の人々によって駆逐された民族の子孫で、上流階級はヨーロッパ人に似ていて、下層階級は原住民に似ているという主張を行い、南北間、階級間の分裂を図った。
このアーリアン学説は、学説誕生時から、非常に疑わしい虚構・捏造だ、という反論があった。ミュラーは、一度もインドに行ったこともなく、本当にヴェーダの言葉が何をさしていたのか、理解してなかった(あるいは故意に誤解した)らしい。
現代人は、言語というのは、モノと言葉が一つ一つ対応していると考えるが、古代の人々はそうではなかった。ある事象全体をあらわす全体的な概念があって、個別的な言葉は後に分化したからである。
恐ろしいことに、この捏造の疑いが極めて高い学説が西欧を席巻し、さらに西欧の歴史を下敷きとしている日本の教科書・歴史書は、古代史の始めから、科学とは言えない学説を主張している。
(リグ=ヴェーダも、西欧人による誤訳をそのまま和訳している。)
資料「アーリアンとは何か」津田元一郎
こういう冷静な視点を持つべきだ
ウィキペディアや、様々な本に特に問題視もされず捏造された歴史観が載っているという事は、非常に恐ろしい事だ
白人がやってきて、白人の血が入っていて鼻が高い上層階級と肌が黒く鼻が低い下層階級に分かれたという偽の歴史が何故ここまで信じられてるのか。恐ろしい。西欧人の誤解、捏造をそのまま信じる日本って何なんだろう。