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2009-04-16

ちょ、ざこば。それエールじゃなくてトドメじゃねw

バーニング!」桂ざこば ラジオ北野誠エールも憶測呼ぶ不規則発言

落語家桂ざこばが、朝日放送ラジオ番組『元気イチバン!!芦沢誠です』(4月14日放送分)内で「北野誠! がんばれよ! 何を言うたんや、北野誠!」とエールを送った。この発言に対し、共演の芦沢誠アナウンサーがしどろもどろになりながら「何が聞きたいんですか、本当に......。(番組を)先に進ませていただきますんで......」と流そうとすると、ざこばは突然「バーニング!」と叫んだ。

http://www.cyzo.com/2009/04/post_1866.html

興味がない人はまったくない話題だが、芸能関係者はぴりぴりしてんだろうね。

桂さこば「バーニング!」

↑しかし、これって記事の題のような「エール(応援)」なのか?

どーみてもトドメでしょ、常識的に考えてw

言われた本人的には気にかけてくれてありがとうと思いつつも、反面、顔面蒼白になって

「うわ、なにを言うてくれてんねんな」ってところでしょうねえ。

ま、ざこばはもともと筋金入りの天然キャラだし、KY空気よまねえw)だからわかるんですが。

エールとかって入れて、三途の川渡りそうな人を背中から突き落とすサイゾーがもっともタチ悪いってことで。

北野誠嫌いだったのかなサイゾー記者

2008-11-10

犬作さん恐し

60 :46 :2008/11/10(月) 10:35:24 0
ウトメ、ウトメ兄弟親族全員犬作教信者
旦那も生まれてすぐ、犬作教の信者名簿に名前を連ねられた。
もちろん旦那は私と交際中は、一切その話をしなかった。
交際3年を過ぎた頃、そろそろ結婚話でも・・・・となった。
私は、無宗教だが結婚式教会で挙げたかった。
なぜなら、着物が似合わないから、とミーハー根性。
ちゃんとした教会でなくても、結婚式場チャペルで挙げよう!と
旦那に言ったら、旦那、なんだかモニョモニョ。
双方の両親に結婚の意志を伝え、結婚式の準備を始めた頃
旦那の実家に呼び出された。
そこにいたのはウトメとなんか偉そうなオジサン。
犬作学会地域エライサンと紹介された。
「え?犬作?聞いてないそんなの」
旦那、下を向いて黙っている。
「息子君と結婚する以上、アンタも犬作学会に入ってもらうよ。
 そうでなければ、結婚は認められない。」
偉そうにオジサンはのたまう。
ウトメは私に「嫁子さん、さあ偉そうさんにご挨拶して」
ニコニコ

61 :46 :2008/11/10(月) 10:36:00 0
私と私実家無宗教
つか、犬作大嫌い。
以前祖父が老衰で亡くなった半年後、兄が交通事故死した時、
近所の犬作信者が毎日我が家に大挙してやってきた。
一年の間に、二人も家族が死ぬなんて、お宅は信心が無いから・・・・」
と、兄を亡くしボロボロになっている母を責めた。
父は「他人の不幸につけ込んで!」と怒り狂い、
連中を追い返したが、連中は毎日やってきていた。
そんなこんなで私も私の家族も全員犬作教嫌いなのだ。

「嫁として認めていただかなくて、結構です。
旦那君、このお話はなかった事にしてください」

私は旦那実家を後にした。
旦那は私の後を追って出てきた。顔面蒼白で。
「どうして犬作学会の事を言わなかった。兄の事故死した時の事話したよね。
私は絶対に宗教はイヤだって。」
問い詰める私に旦那、
「本当のことを言ったら嫌われると思った。
それに、俺はもう名前だけの幽霊会員みたいなもんだったし」
「とにかくこの話はなかった事にして」
と私は旦那を振り切って帰った。

62 :46 :2008/11/10(月) 10:36:25 0
私から事情を聞いた両親は、激怒。
やり方が汚すぎる・・・と。
その後旦那が私の家にやってきた。
脱会する、二度と学会に係わらない、両親にも会わなくていい。」
土下座
父は「本当に、ご両親と娘が関わることは無いのか?嘘は許さないよ」
と旦那を質すと旦那
「絶縁でもかまいません。僕は娘さんと結婚がしたいんです。」
ということで、私達ややり直すことにした。
結婚式は二人きりで海外で挙げてきた。
で、名前は私の名字になり、ウトメとは私のみ絶縁のまま何事も無く数年が過ぎた。

63 :46 :2008/11/10(月) 10:36:47 0
娘が生まれて6年目の冬。
娘が突然変な事を言い出した。
ママが不信心だから、私テストに落ちた」
テスト?」
娘は「お試験。お受験
私「?????何の話・・?????」
だいたいウチはお受験してません。
小学校の評判の良い土地を選んで引っ越して来た位なのに。
何の話をしているんだ。
で、支離滅裂になりがちな6歳児を落ち着かせ、落ち着いて話を聞こうとすると
後ろで「(娘)!」と大声を出した旦那。
顔面蒼白になっている。
私、ピンときた。ウトメと学会絡みだ。
旦那を制止し、娘からゆっくりと話を聞いた。
11月某日、保育園に旦那とウトメが迎えに来て
犬作小学校のお受験に連れて行かれたそうだ。
で、不合格
ウトメ「全て嫁子がわるい。可哀想に孫ちゃんの人生も終わり」
と娘に吹き込んでいた。

64 :46 :2008/11/10(月) 10:38:30 0
娘は「ママが信心していればこんな事にはならなかったって・・・!」と泣く。
私は旦那に「・・・・もう完璧に終わりだから・・・・わかっているよね」
と言うと、へ垂れ込む旦那を無視して荷造り&実家へGOした。

子どもが生まれたとき、私の一存で旦那方の祖父母に会わせない・・・というのも
傲慢かな、なんて思ったのが甘かった。
あいつ等カルトだ。
カルトに会わせる必要は無かったんだ。

で、現在娘は小学校6年生。
旦那、ウトメには全て「元」が付いてます。
私は実家家業手伝いつつ、子どもを育てています。
旦那にはもう会わせていません。
二度と信じられません。
あ、慰謝料養育費は一括で毟り取りました。
娘は、犬作教のこと、犬作小学校の事は
「夢でもみてたんじゃないの?」と言い聞かせ続け
今ではすっかり忘れています。

2008-10-16

哀々傘

あの日の帰り道

通学路の塀に落書きがあった

相合傘だった

軟らかい石ではっきり書かれた

自分と好きな子の名前

その日までは

好きな子と通学して

けどその日以来

落書きを見られたくなくて

泣き泣き断った

次の日相談した

仲良しの友達

その子めっちゃ笑ってた

なんで笑ってんの?

何か知ってるの?

顔面蒼白

問い詰めた

犯人

その友達だった

それ以来こわい

相合傘がこわい

好きだった子は

年々タラコになっていった

それでも好きだった

10年くらい好きだった

でも会話は

あれ以来できないまま

2008-06-06

都内某駅の夜。

友人が経験した話。

終電まであと数本はあったというその夜、

友人が電車に乗りこみ何気なくホームを見ると

突然、ホームを歩いていた女性が崩れ落ちるように倒れこんだ。

終電が近いせいもあったのか、彼女を見ても知らん顔して

電車に乗り込む人が数人。実際、倒れた姿は酔って転んだだけのようにも見える。

しかし起き上がる気配はないし、何より倒れ方が普通ではなかった。

(こんなにたくさん人が見てるのに……誰も行かないのかよ!)

終電まで余裕があった友人は一度は乗った電車を降りて、彼女に駆け寄った。

「大丈夫ですか!」

声をかけるが反応無し。そっと起こすと顔面蒼白のまま女性

「ハア…」と息も絶え絶えに言うのみ。

そこへ一人の女性が通りがかり「大丈夫ですか?」と声をかけた。

友人は彼女

意識がハッキリしていないみたいです。駅員を呼んできてもらえますか?」

と言い、離れたところにいる駅員を呼びに行かせると、とりあえず

彼女に声をかけ続けた。

そうしているうちにやっと一人、二人と人が集まってきた。

その中の一人の中年男性がいて、

「どうしました?」と友人に尋ねた。

「急に倒れたんですよ!」と友人。

アルコール中毒じゃなさそうだね」と男性

彼は医療関係者なのか、彼女が少しでも楽な姿勢をとらせると

「このままにしておいたほうがいいね」と言い、駅員の到着を待った。

駅員が到着する間、ほんの1,2分の時間がとても長く感じられたという。

そして友人は駆けつけた数人の駅員に「ちょっとそこ、どいて!」と野次馬扱いされ、

やや乱暴に突き飛ばされる。

(まあ、しょうがないか。こんな格好だし)

役者のはしくれとして舞台に立つ友人は、その日も稽古帰り道

金髪によれよれのシャツ、はき古したジーンズサンダル

もともと強面であるがゆえに、とてもガラが良さそうには見えない。

友人は誰にも気づかれないように、本当に野次馬のように

そっと現場を離れたとき、一人の駅員が肩を叩いた。

ありがとうございました。」

駅員を呼びに走った彼女が、友人のことを駅員に教えたらしい。

「いえ……当然のことをしたまでなんで」

友人は口ごもりながら、ちょうどやってきた電車に乗り込んだ。

友人が得た教訓。

終電が近いと、人の命は軽んじられる。

けれども誰かが動けば、必ず追随する者は現れる。

そして、人は見た目で判断される。

2007-11-26

自分の過去に関するメモ

2007年10月、某心療内科にてうつ病であると診断される。

以下その原因と考えられる過去の事象、及び現在進行形で起きている事柄を可能な限り客観的に記述する事で自分自身の再確認を図りたい。

家族構成

厳格な父と、息子を溺愛する母の間に一人息子として生まれる。

両親は婚姻届を出しておらず、私は戸籍上は母の私生児である。

理由は「社会的な規則に縛られない愛の形を体現したい。」という思いから。

つまり、二人は典型的なヒッピーカルチャーの申し子であり、フラワーチルドレンであった。

厳格、恐怖、威圧的尊敬

ラグビー部員でスポーツマン

映像に関する仕事

優しい、甘い、溺愛、奔放、社交的。

衣類に関する仕事多忙我が家の収入の殆どは母が支えていた。

誰からも愛されるような人物。

幼少時代

二人とも多忙であったため、家族が揃う事は稀であった。

それでも私は母がいればよかったのだが、母も出張等で多いときは半年ほど家を空ける事もあり、その際私は親戚、ベビーシッターに預けられる日々が続く。

母と別れる際大泣きした記憶
知らない場所で朝目覚めた時の悲しさ

だがある時私が大風邪を引き一週間ほど寝込み、その間母が出張するという事があった。

その時私は自分自身の身体的辛さが悲しみを凌駕しており、

「人は自分自身が辛い時はまわりの事はどうでも良くなる。」

と理解する。

以後、一人でいる事は全く苦痛ではなくなった。

小学生時代

多くの人がそうであるように、私も他の生徒と自分とは何かが決定的に違うと感じていた(恐怖)。

それを悟られまいと、校内では誰よりもおどけて見せ、ある程度人気者の地位を確立していた。

その反面、家に帰ると締め切った部屋でひとりTVゲームしたり、父から教わったプログレッシブロックを何度も聞きながら、自分のした事に対する後悔の念にさいなまれていた。

父にとって外で遊ばない事は子供として最大の罪であり、特にTVゲームをしている所をみつかるとこっぴどく叱られた。

無理矢理「子供は木登りをして遊べ。」と木登りをさせられたりしたが、これの何が楽しいのか全く理解できなかった。

中学時代

小学校の延長線上のような生活、アニメ等にも興味を持ち大量に見ていたが同時期に発生した宮崎事件によりアニメ好きへの大バッシングが始まったためアニメ好きであることは隠していた。

不良グループの一部とも付き合い始めるが私自身が不良だったわけではなく、なんとなく面白い奴なので一緒に遊ぼう的に思われていたのだと思う。

この頃一度暴行事件に巻き込まれ初めて警察に捕まり事情聴取を受ける。刑事は後ろ盾が「国」であるだけのヤクザだと感じる。

卒業式の日不良の一人が感極まって泣いており理解できなかった。

そう思うと小学校中学校と腹を割って話せるような友達は私はいなかったのだろう。

一度だけ異性に告白を受けたが、恋愛どうこうよりも恋愛をする事で周りから冷やかされる可能性の方が嫌で断る。

常に気にするのは周りからの視線。町を歩いても。電車に乗っても。バスに乗っても。

家に帰ったとき「ここまでくれば誰も追ってこない。」と感じる毎日。

高校時代

体育会系男子校に入学。苦痛。ひたすらつまらない。ノリがあわない。

スポーツマン、不良、オタクの三種類の人間しかいない。地獄のような毎日。休みがちになる。

異性との出会いも無い。中学時代の友人ともつるむも、それもつまらなく感じる。

初恋

この時期初めて異性に恋をする。

父の会社に勤める女性。自分よりずっと年上。

美しいが、それを感じさせないほど純粋な人。

衝撃。嬉しさ。苦しさ。自分の惨めさと対照的な彼女の美しさ。

その人に認められたくて何故かテニスに専念。(当然見に来るはずもない)

父の仕事関係夏休み海外無人島での撮影に家族で行く。

そこで彼女と何日間か一緒に過ごせた事が最高の思い出。

彼女は月や海を見て綺麗と言える人だった。

彼女の近くにいる事が地獄のような日常の中で唯一の幸せ

変化

大学入学後のある日、彼女出産したと聞く。

ショックだったが元々彼女は自分にとって雲の上のような存在だったし、彼女幸せであればいいのだと自分自身に言い聞かせる。

ある日、父と一緒に彼女彼女子供に会う。

「抱いてみろ。」と父。

生まれたて子供、可愛い等と感じる余裕すら無かったが、

「可愛いですね。おめでとうございます。」と言ったように思う。

彼女は何故か顔面蒼白で無言。

不思議に思う。

数ヵ月後、母から

「父はもう二度と家に帰ってこない。」

と伝えられる。理解不能。

以後母は毎日泣き通し、私は何が起きたのか理解できず不穏な日々が続く。

暫くして父は私の初恋の人と不倫をしていた事を知る。

私があの時抱いた子供は私の異母兄弟だった。

以後暫くの間、自分が何をしていたのか記憶があまり無い。

スイッチオフにしたような感じ。

普通に日常生活を送っていたと思う。

ただ、眠る時に毎晩同じ夢を見るようになる。

町を走る夢

町の中をひたすら走っている、何処に向かっているのか解らないが、急がなければ、急がなければ、という酷い焦りだけはある。

走り続けて気がつくと何故か自宅の前にたどり着く。

右手を見ると自分がいつの間にかナイフを持っている事に気がつく。

家からは母と父、そして子供の頃の自分の声。

「ああ、やっぱりな。」

という思い。

玄関のドアノブに手をかけた瞬間必ず目が覚める。

道を歩く夢

何も無い真っ直ぐな一本道を歩いてる

空は青から黒にグラデーションしている。

自分は全裸

ひたすら歩いていると遠くから人骨が見えてくる。

人骨を見ながら何故こんな所に人骨があるのか、これは一体誰の骨なのか考える。

暫く考えるうちあるとき突然理解する。

「これは俺の骨だ。俺はもう死んだんだ。」

目が覚める。


目が覚めた後は決まって酷い寝汗をかいており、跳ね起きるようにベッドから立ち上がる。(これは今でも目が覚める時は必ず同じ。)

自分の部屋に鍵をかけ、タオル等でぐるぐる巻きにして、絶対に開けられないようにする。

外から誰が入って来るのを阻止するためでは無く、自分が部屋から出られないようにするためである。

部屋から出るとそのまま台所まで歩いて行き、包丁を取り出してしまう自分が想像できたからだ。

この頃、睡眠への恐怖からの不眠、拒食、ナイフ等で自分の胸を切る自傷行為を何度か行う。

今思えばこの時しっかりとした治療を受けるべきだったのだろうと思う。

だが私はその時全盛期だったレイヴカルチャーの中に飛び込んでしまった。

ネオヒッピートラベラーと呼ばれる人達との付き合いの中でドラッグを覚える。

私は女性より先にドラッグの味を覚えた。

色々な人を見た。

キャンプファイアーの中に自分から飛び込んで大やけどを負った人、トイレの中から「トイレがウジだらけだ!」と叫びながら飛び出してきた人(なんて想像力の無いパラノイアだ。)、ドラックを求めてタイに行き今も帰ってこない人、ごみの山を積み上げて自分は世界一アーティストだとのたまう人、LSDヘンプ世界平和になると本気で信じている人。

つまり私はどこに行っても傍観者だった。

私はあの時破滅したかったのだと思う。

でもそれすらできなかった。

私は彼らが羨ましかった。

その後、そういったものから自然に離れて行き、ドラッグもせず、仕事もし、そして何度か恋と別れを繰り返すうち、自分はもう過去は乗り越えたものだと思っていた。

だがそれから約10年たったある日、また同じような症状が自分を襲った。

愕然とした。

もうとっくに自分の中では決着がついていたと思っていたのに。

ドアを開いたら、また同じ部屋にたどり着いてしまった。

私にとってこれは本当に辛い事だが、現在行っている治療と、自分自身の過去の向き合う事が、解決に少しでも繋がればと思いここに記す。

2007-09-13

救急車ねぇ…

自覚症状に乏しいがやばい急性の病気…か。

熱中症顔面蒼白とか?

本人は朦朧として、事態を把握し損ねてる…とかやばいらしい。

2007-05-29

anond:20070529082216

マジか

泡吹いて顔面蒼白になってぶっ倒れたい気分だ

2007-05-01

佐藤君って

ジャナ専の卒業式に壇上で卒業証書を破り捨てて鼻息フンフン得意満面になったものの、

講師を含む参加者全員にアッサリと「どーでもいーや」とスルーされ、

こわばった笑みを必死に維持したまま顔面蒼白でこそこそ逃げ去っていった佐藤君?

http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20070430

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