はてなキーワード: 森博嗣とは
まあ、ゲーマーなんて物は大抵そんなものかもしれんが
というより視野が狭い
3年くらい前から「森博嗣が好き」って各人の間で黒歴史扱いになったと思ってた。
まだまだ大手を振ってスキと言える作家なんだなー。その感覚のほうが新鮮。
森博嗣、俺も友達に薦められて一時期まとめて読んだのだが
最初は新鮮だったんだけど、あるとき急に受け付けなくなったんだよな
なんか痛々しい感じがするのだ
増田を見て
結構同じように、違和感を持っている人がいるんだとわかって
ちょっとほっとした
私も森博嗣は2度と読まないよ。そもそもプログラマは「全てがF」を検出するんでなしに桁のオーバーフローを検出するだろ。意味わかんないんだよ。
同人時代を知っている人によると、「全然変わってない」そうだ。
面倒だからもういろいろ書かないけど、君の気持ち、よくわかる。
森博嗣ってよ、
「理系過ぎるゆえに、物事を論理的に考えすぎるがゆえに、フツーの人ならわかるようなことに「どうしてそんなことをするんですか?」と問いかけてしまう天然理系キャラなんです☆」
……みたいなのを、事有るごとに必死にアピールしてるのが嫌だ。これは小説以外の本も含めての話だけど。
なんつーか「あざとい」んだよな。すっげえ。そりゃ確かに中二病にかぶれてる真っ最中の学生なんかはもう大好きだよ、こういうの。ど真ん中だよ。ある種、仙人みたいなキャラクターだからな。俺も多分中学に読んでたら森博嗣のキャラクターを崇拝してただろう。
でも今じゃ無理だ。狙ってる感、あざとさが、見えまくりで萎える。多かれ少なかれ作家はやってることなんだろうが、それにしたって露骨過ぎる。本当は普通の話が出来る子が、必死に小倉優子みたいなキャラになろうしてアピールしまくってるのを傍目で見てるような気持ちになる。だから俺はダメだ。小説も同様にいちいちあざとい。
俺も森博嗣嫌いだから、あんたの気持ちよく分かるよ。まず、あの作品のタイトルからして嫌いだな。ギリシア文字をやたらと使う所とか。
あと、自分はいかにも理系ですよ、理系的なセンスで小説書いてますよって臭いがプンプンしているところとか嫌いだな。
例えば、彼のデビュー作の「すべてがFになる」にしても、世の推理小説作家に「おまえらコンピュータのこと理解してないだろう。工学的センスないだろ。ただの文系だろ。Fって何か知らないだろ?」って語りかけているようで嫌いだ。
あと、思ったのは、彼の小説って「熱さ」や「情熱」を感じないな。淡々と機械的に、読者が面白いと感じてくれる要素をいろいろ詰め込んで、小説という一つの商品を作っている、という冷たい印象を受ける。だから、もちろん一般的に受けが良いんだろうけど、小説の片隅から作者の「冷たい視線」を感じることが多くて、俺は読んでいて不快になる。
森博嗣は妙に人気が高い。これまで嫌いだ、もしくは俺のように余り好きじゃないと言った人をリアルは勿論ネット上ですら見た事が無い。それも俺のような若者層に特にカルト的人気がある(今更だが……)。
何故人気が有るのかわからない、といいたいわけではない。いかにも中高生の読書好きにウケそうではある。俺も「嫌い」というほどでもないし著作もいくつか読んだ事がある。ただあの、いかにもな、世間が想像していそうなステレオタイプの理系人(俺も一応理系なのだが、世間の想像する所謂理系というのは実際の理系と違うと感じている)を演じているような所(読者の為なのだろうが)、また攻めているようでどこか逃げ腰なところが好きで無いのだ。詭弁を撒き散らし、常に自分が逃げる道を確保している。「俺、全然本気じゃねーから」ってカッコつけてる高校の同級生を見るようなカッコ悪さを感じてしまうのだ……まあ個人的な感覚で、ほとんどの人には「ハァ!?意味がわからん」と言われると思うのだが……
「俺も好きじゃない」という人に会ってみたい。
俺の嫌いな理由を「あーわかる」と一度くらい言ってほしい。
とちょっと思った、夜。
森博嗣の信者でこういうことばっか言ってるナルシストで構ってちゃんの男にあったことあるよ。
あまりにそっくりすぎて怖い位だ。本人?
女子が言うところの「あたしい、不思議ちゃんってよく言われるんですうー」に近いものを感じる。
ってのが多分一般的な流れ。これだとたとえば榮倉の場合、「榮倉奈々」と「えいくらなな」だけ押さえておけばいいわけで、「木村卓也」「木村卓哉」「木村拓哉」「木村拓也」あたりまで登録しなきゃいけないのに比べて効率がいいとも言える。そんなこと言ったら「木村カエラ」あたりが一番いいのかもしんないねマジで。
最近ホッテントリにふわーっと現れるMORI LOG ONLINEだっけ、あのブログの、小説家で「すべてがFになる」の人。いまさっき、あのひとどんなひとなのかなーと思って調べようとしたら、まず「モリログ」でググって、検索結果のアマゾンの著者のとこに「森博嗣」ってあったから検索窓までドラッグアンドドロップして、その検索結果のWikiPediaを見てようやく「もりひろし」だって読めた。「もりひろじ」とかかなーってなんとなく思ってたけど、「もりひろじ」で検索してもぜんぜんハシニモボウニモって感じよ全然。
チェック男子にとっては「ググれないモノは存在しない」そうなので、漢字の使い方にも気をつけるのがweb時代なのかなーっとかおもったね割と。
ただ、音楽は繰り返し聴く人が多いけれど、小説や漫画を繰り返し読む人は少ないんだよね。
アニメだって一回観るだけで満足しちゃうってことがある。
それはあまりフェアじゃない。
って森博嗣が言ってた!
俺もそう思う!
なんとか上手く解決できればいいね!
なるべくたくさんの自分に関係がない人にきいてほしかった。
だから二、三人しか見て無いような自分の日記じゃなくてここに書く。
書いて誰かに見てもらうことで少しでも軽くしたい。なるかはわからないけど。
ここに書く事で誰かとかかわりを持ちたいのかもしれないです。
毎日死にたいという考えで頭の中がいっぱいになっている。出来たら死んでしまいたい。痛くも苦しくもない方法で死にたい。
だけど死んだらどうなるのかがわからなくて、それが怖くて死ぬことが出来ない。
出来たら自分がいた痕跡ごと消えさりたい。死んだ後どこかの誰かが考えた宗教の通りにどこかに行くのではなく、そのまま消えたい。
もう考え事なんかしたくない。頭の中を真っ白にしたい。
(わがままだけれど、自分がいなくなったあとも世界が存在するのが耐えられない。僕が死んだ後も森博嗣や恩田陸は小説を描き続ける。
僕が死んだ後もsalyuは歌を歌い続ける。僕が死んだ後にもしかしたら好きなドラマの続編が作られるかもしれない。
だから僕が死ぬときに全部、世の中ごと消えてくれたらいいと思う。)
自分には価値が無いとおもう。今日も面接に落ちた。要領の悪い僕でも出来る単純作業で、誰でも受かるといわれた。
面接に落ちるたびに世の中の全てに自分を否定されているように思う。お前は価値の無い人間だ。死んでしまえと言われた気になる。
自分でも自分の全てを否定している。だから苦しいのは、言われたことよりも怖いなんて理由でその通りに死んでしまえないことだ。
容姿も最底辺ではないとは思うけれど、充分に醜いし頭も悪いし体も弱い。要領が悪くやたら細かいミスが多い。
仕事はがんばっているけど、どんなに笑顔で挨拶をしても、どんなに言われたとおりにやってもみんなに嫌われる。
「みんなあなたのことが嫌いだって言ってるよ」と言われた事もある。知っていたけど人から言われるのはやっぱり辛かった。
もっと自信を持ったらと言われたこともある。だけど自信というのは、実力があってはじめて持てるものだと思う。
それがないのにどうやって持てって言うんだろう。
僕は何も持っていない。唯一五体満足の体はあるのにそれを生かすことも出来ない。
居なくなった方がいい人間、本当に価値の無い人間は居る。ここに居る。
酸素を無駄に消費して、親に必要の無い金を出させて、ただでさえ屑なのにこれ以上無いくらいだと思う。
最近は一日中泣いてばかりいる。本当に泣きたいのは両親だと思う。ごめんなさい。
僕は読解力がない。そう思うんだよ、増田の兄弟。
あのエントリーのどこを読めば、新古書批判になるのか分からない。
オチで「まぁ、僕の本なんかが流通するなんて笑っちゃうよね。新品どころか中古でだって、ぷぷぷ。焚書じゃんフツー」
っていうジョークでしょう。
本屋さんやってて、わざわざ森博嗣のエッセイをチェックしてたりするほど森博嗣の芸風を知ってそうな人間が、
あんなのに対して怒ってみせる。マジギレした態度をとってみせる。
あのさー。森博嗣のエントリーなんてあの著作権論を聞いてもらうためのフックじゃん、どう考えても。
「僕の本なんて、燃やしちゃえよ」ってジョークでいってる人に対して、マジギレ。
どう読んだら、こう解釈できるんだろう。本当に頭悪い僕に教えてよ、増田。
http://anond.hatelabo.jp/20070513205451
旅烏さんの批判
http://d.hatena.ne.jp/banraidou/20070512/1178981031
http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/05/08/index.php