はてなキーワード: ヤマカンとは
堀江「主役になった多くの今期アニメも根っこからクソアニメになった。博士、戸松に勝てる生物なんて存在するのかい?」
田村「戸松より圧倒的に人気のある声優を出すしかないじゃろうな・・」
田村「例えるなら信者、さすがの戸松も百万の信者には勝てなかったという研究成果がある」
能登「ヘッ、ひとりの声優が百万の信者なんか集められるわけないだろ。どうかしてるぜ」
小清水「一人いる・・・」
小清水「一人いるんだ・・」
釘宮「かつて黒髪信者を自殺寸前まで追い詰め、あの親父が、ヤマカンが認めた声優」
林原「平野綾かッ!」
能登「バカじゃねぇのか?平野は確かAYA-STYLE事件で破壊されたはずじゃあ・・」
突如空から何者かが降ってくる
騒然となる会場
警戒心で目覚める戸松
平野「やぁみなさん。あなた方は貴重な深夜アニメを破壊しようとしている。
私はこの愚かな行為を止めなければならない、だからここで戸松を殺す。」
能登「あいつ言ってることメチャクチャじゃねぇか」
釘宮「それでいい・・あんたでいい」
小清水「ああ・・奴の言うことは正しい」
オトナアニメの新しい号が出てたので、流し読みをした。
俺はオッサンなので、感性が枯れてきていて、最近アニメに飽きてきているのだが、惰性で読んでいる。
曰く、とらドラはリア充アニメで、平気でリア充がアニメを見るような時代になった。若手の作り手もリア充になっている。その結果、つまみ食い的に話題作に参加することが目的のような若手が多くなった。一本に情熱を注がないリア充が多くなったことに、アニメの危機を感じる。のような内容。(微妙に違っているかも)
どこかで聞いたことがある話だ~。(奥田民生)
一昔前の、ネットサービスに身を投じる若者などを思い出すね。・・・今は、iPhoneか。
でも、確かに、ヤマカンの危機感も分からなくもないけど、何か違うような感じがするんだな。リア充化というのは、メジャー化であり、TVアニメがリア充になるのは喜ぶべき事だと思う。裾野も広がる。多分、自意識過剰で、暗い情熱を持っている若者は、ひとけのない自分の居場所を自分で作ると思う。例えば、HellsingのOVAのように、無意識的にか、意識的にかは別にして、人が避けて通るような場所を自分の有利な立ち位置として移動してしまう。というか、そういう体質になっていますから。(体験的に)
ヤマカンも高学歴だし、本人が自覚している以上にリア充だったと思うので、その辺に想像力が及ばないのは仕方が無いのかも知れないが。
某所で非常勤講師をやっている者です。
専門学校なので相手は高校生を卒業した人が中心なんですが、2割ぐらいは主婦というか、年配の方もいらっしゃります。
教えている内容は萌えアニメの基本的なことと、釘宮病とか17歳教の危険性で
「今更こんなこと教える必要あるんだろうか?」
と思うような内容。さすがにそれだけでは申し訳ないような気がするので、
これからの時代に必要とされそうな萌えアニメのリテラシー的なことも教えています。(ラジオも確認しようね、とか)
で、そういう非常勤講師をやっていて気づいたのだけれど、割と多くの人は未だに
「ツンデレって何?」
という認識である、ということ。いや、それ以前に
「萌えアニメって何?」
という認識の人が割といるという現実。年配の人とかに限らず、若い人でも多い。
キャラデザどころか監督ですら知らない。かないみかとこおろぎさとみの聞き分けなんて全然できない。
「基本なので、しっかり覚えてください」
「髪型と髪の色だけを覚えてください。それだけでほとんどのキャラは見分けられるようになります」
とお願いしても、授業中は頑張るがそれっきり。次の授業では綺麗さっぱり忘れて別のキャラと混同して混乱。
とか言っても全然興味を示さない。そもそも、萌えアニメなんて授業で見てるだけで普段の生活では見たくもないらしい。
だから調べないし、いつまで経っても覚えられない。まぁ、それでも全然普段の生活には困ってないんだろうけど。
半数以上の人は、そういう面白い情報を教えてあげると喜んで飛びついてくれる。IDOLM@STERとか教えたら喜んでやると思う。
現にヤマカンの演出を教えるだけでハルヒやららき☆すたやらを喜んで見る。
友達と踊り合って非常に楽しんでいる。
でも、一部の人は何をどう頑張っても無理な気がする。
何か、人生に対する興味が萌えアニメとは無関係な空間にあるよう。
癒しアニメの味わい方(といってもARIA全話一挙放送を見るぐらいなのだが)を教えても、
授業で鑑賞を求められているから見るのであって、癒しを得るのに萌えアニメを見るなんて考えられないらしい。
そもそも、萌えアニメなんて言ってみれば電車の形式とか、パソコンの組み立てのようなもので、
オタクが好きにやってくれればそれでよくて、自分たちが何かをする所じゃない、という認識なのだろう。
昔から個人的な意見としてNHKはもっと萌えアニメを有効活用すべきだ、と思っていたが、
こういう現実を目の当たりにして、それは全くの間違いだと気付いた。
萌えアニメを通して見える世界っていうのは、本当に偏った世界なんだ、と。
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まあ、カツラ業者とか整形外科医とか専門の人でない限り、ほとんど「なんとなく」で言ってるだけだろうな。どうせ真偽は分からないから、適当に「あれはカツラだね」「あれは絶対いじってる」とか言っておいてもすぐにその予想の結果が出るわけでもないし。お手軽に「分かってる奴」を自称できるから言うんじゃね?
一部には分かる奴がいるつっても、一度当てた程度じゃ感心するにはほとんど意味が無いよ。数うちゃ当たるし。
俺も姉歯はカツラっぽいなとは思ったけど理由なんて「なんかカツラっぽい頭」ってだけで適当極まりない。大概そんなもんだよ
不自然すぎるほど髪の毛が整ってたりとかさ。顔の場合は単に気に食わない芸能人を「整形」扱いしてるパターンも多い。とにかく「人工的に不自然なまでに整っている」感じが、ほとんどの人間のカツラ整形判定の源だろ。その感じを判別するのもほとんどヤマカンっつーか何となくに過ぎない。異常に詳しい奴は、自分がカツラつけること考えたり整形考えたりしたことある奴に多い。そこまでいくと専門に片足つっこんだみたいなもんだしな
不毛な戦いに疲れたので『愛・おぼえていますか』ぜんぶみちゃったよ。
僕達がするべきことは戦うことじゃない、愛しあうことだったんだ!
ところで山本寛はなぜ『らき☆すた』の監督を(あんな形で)降板することになったのか?
いろいろな説が飛び交っているけれど、「演出・山本寛としては優れていたが、そのこだわり故に監督として全体を見なければならないポジションになったとき、制作スケジュールまたはスタッフワークに問題が生じてしまった」ことに起因する、京都アニメーション内部の修正人事というのが有力だと思います。
「監督において、まだ、その域に達していない」というリリースには、少なくとも『らき☆すた』のクオリティが低すぎたのでとはどこにも書いていない。『ハルヒ』や『ふもっふ』『TSR』を期待していた人や、そもそも萌え4コマのようなものが嫌いな人には評判がよろしくないけれど、『らき☆すた』は演出、カット割、その他もろもろ非常に細かいところまで心くばりがなされていて、とても心地よく見ることができるものになっていますよ。
というわけで「山本寛が京アニとして許せないレベルの駄作を作ったから」ではなく「フィルムのクオリティ以外の面で監督として至らなかった」という点に絞って、いろいろ調べてみたのですが、大阪のアニメ制作スタジオ「スタジオワンパック」が下請けした作品の実績をサイトで公開していました。
それによると4月8日に#1がオンエアされた『らき☆すた』の動画が以下のようなスケジュールで撒かれていることがわかります。
3月
『グレンラガン』#7(489枚):参考
4月
『らき☆すた』#6(510枚)
『らき☆すた』#7(409枚)
『らき☆すた』#8(410枚)
参考までに、3月に同社で制作された『天元突破グレンラガン』のデータも併記していますが、これと比べても「制作スケジュールに大幅なマージンを設けることで、高いクオリティを実現する」といわれている