はてなキーワード: ヒンデンブルクとは
途中で腹の立った人、題名で既に私の言いたいことがわかった勘のいい方、時間のない方は「本文」を飛ばして「おわりに」を読んで頂きたい。
あなたは、
あなたの旦那さんは、
あなたの息子さんは、
戦争に負けて、巨額の賠償を強いられて、ハイパーインフレの国に生まれたら、家族を養えますか?
父親が貴族やユンカーでもないかぎり自活は無理でしょ。本人の資質や努力、やる気なんて関係ありません。どんなに能力、やる気があっても、恐慌と重税下で家族を養える20代の男性なんてほぼ皆無です。外国を侵略したとか言われてるけど、外国を侵略せずに必死で働いてたら、食べていけたと思います?
多くの若者を死なせた国が終戦したら、自動的に“誰かが支援する必要”があるってことでしょ。
支援するのは誰?
・旧敵国(賠償免除、借款)
・米国
でしょうか。現実的には、戦火を交えた旧敵国(旧敵国も戦争で荒廃してるでしょうし)が自分の生活物資に加え“7000万の敗戦国民の生活物資”を維持し続けるのも、このご時世では苦しいでしょう。
(2)旧敵国に相当の稼ぎがあり、敗戦国民7000万名の生活物資を何年にもわたって供給し続けられる
(3)中立国が助ける
で、ないかぎりは、
(4)東方拡大により生存圏を確保する
しか、敗戦国に生きる道はありません。
・父親が貴族やユンカーではなく、
・政府が支払うと約束した額と現実的な支払い見通しが不十分で、
・旧敵国に、生活物資を支援する財力と予定があると確認できなければ、
「では、このままオーストリアとズデーテンラントに行って、手続きしていってくださいね」と、講和条約を調印する係の人が、講和条約と引き替えに合邦協定草案を渡しながら言う必要があるんじゃないの?
違うのかな・・
「育てられないのに降伏するなんて無責任」という人は、1910年代で帝国主義をしちゃダメだと言ってるの?
“敗戦する可能性”は誰にでもあるでしょ。“敗戦しても自活できる経済力を付けてから戦争しろ”ってこと?それが責任ある態度だというの?それいったい何世紀くらいのこと?22世紀くらい??何世紀まで働いたら“賠償しても国民7000万人養える経済力”なんてつくの?
民族自決ってのは、同じ民族は一つの国家に住みましょうね、っていう政策なんじゃないの?そのために国際連盟まで設立したりしてんじゃないの?
★★★
記録のための事件概要
・1914年7月、兄弟国は戦争を決意。当事国に最後通牒(後に期限切れで宣戦布告)。
・1914年8月、国家防衛のため総動員を開始、自動的に戦争に突入
・1918年11月 革命と共に終戦。隣国は皇帝を引き取り、共和国としての歴史が始まる。
・1921年の3月 ロンドン会議が開催され、賠償額が決定。総額1320億マルク。
・7月頃から国内争乱開始か。大統領緊急令を連発するなどし法によらない解決を繰り返す。
・国内に賠償踏み倒しの声が聞こえ、隣国による保障占領が相次ぐ。イギリスが調停を試みるが、国会が運営できず。
・1930年にヒンデンブルク(当時大統領)が議会に依存しない内閣の結成を命じる。
・1933年1月、軍部による反大統領クーデターの噂(未確認)
・ポーランド西部のアウシュヴィッツでは、虐殺されたユダヤ人無数が遺体で発見される。
・1945年4月30日 ベルリンが陥落したところを、ヒトラーは自殺。
★★★
“ホロコースト”の意味は、虐殺とか、抹殺という意味だと思うのだけど、
この事件では、誰が何をホロコーストしたの?
★★★
この総統が苦学生だった20世紀初頭、ヴィーンでの親友だった音楽家の証言より再構成
彼が総統となってヴィーンに来たときですか?私を接見してくれましたよ。
監視?もちろんなしです。本当ですよ。
それではどうしてあなたはあのいまわしいヒトラーを殺さなかったのですか、ですって?
どうしてって…。彼は私の親友だったからです。
民族自決もいいけど、既に分裂している国家も、もうちょっと合併したらどうかな、旧敵国。
600万人のユダヤ人のご冥福をお祈りします。
言うまでもないが、改変元→http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100801
冗談抜きで、ふざけるなと言いたい。「盗人にも三分の理」というが、同情する余地のない人間などどこにもいないのだ。しかしだからといって、追いつめられれば何をやってもいいかのごとく触れ歩くのは単なるデマゴーグに留まらない、犯罪的な言説だ。そもそもこの手の言説は、子供を虐待することなく立派に育て上げている圧倒的大多数のシングルマザーに対する侮辱であることに気がつかないのか。恥を知れ恥を。
まして、「なんでも環境のせいにするな、全ては自己責任」という俗流過激ネオリベ思想を推進しているこのデマゴーグブロガーが、こういうときだけ全て環境のせいにするなど、ふざけるにも程がある。
そして、「ジェンダー」という錦の御旗を振りかざされれば目が眩んでことの本質が見えなくなる馬鹿なはてな民よ、恥を知れ。
人を殺すぐらいなら、もっとまともな手はいくらでもあったはずなのだ。いくら追い込まれての行動とはいえ、同情の余地にも限度があるに決まっていよう。同情の余地があれば全てが免責されるわけでもなければ、悲惨な境遇に追い込まれれば誰もが罪を犯すわけでもない。
勿論、仮にヒトラーが生まれた時期があと50年遅ければ、誰一人を殺めることもなく平穏に生を終えることができたのかもしれない。逆に、私が当時のドイツに生まれていたらヒトラーと同じことをやったかはともかく、その下手人にぐらいはなっていた可能性だってあることは重々承知している。それぐらいの「想像力」は当然ある。しかしそんなことがヒトラーを免罪することになどならないのは言うまでもない。もしそれを赦すことができる者がいるとすれば、神仏のような超越的な存在でしかあり得ないだろう。いずれにせよ、現実社会ではヒトラーは赦されることは未来永劫あり得ない。それが世の道理というものだ。
この事件、いったいそれと何が違うのだ。「ネグレクトしない自信はない」そんなことはあたりまえだ。母子家庭であろうとなかろうと、ネグレクトをしてしまう可能性はある。人間とはそういうものだ。しかし、その責任を自ら引き受けることなく子育てなんてそもそもできるわけがない。育児に限らず、一寸先は闇の現実世界というのはすべてそういうものだ。誰も、他人が過ちを犯す可能性を零にしてやることはできないのだ。なんとか自分を律するように最善を尽くすしかない、それが本当の意味の「自己責任」ではないのか。