おれは、客観的主観的に無価値な人間だ。おれは、いくらでも替えが効く、無価値どころか社会から見ればマイナスもいいところの、社会不適合者である。そして自殺志願者で、おれに価値なんて無いことはおれ自身にもわかっている。
なら、なぜ生きているのか。おれにもよくわからない。ただ、惰性で生きている。
痛いのは嫌だし、苦しいのは嫌だ。だからこそ死にたいのだけれど、死ぬには死という特大の苦痛を経なければいけない。だから、おれは自殺をずっと後回しにして、惰性で生きている。
このまま生きればどうにかなる日が来るのだろうか?でも、はっきり言ってこれから人生が好転するようには思えない。おれの認知が狂っている可能性はあるか、それにしても無いと思う。きっと苦痛は増す一方だろう。それでも自殺に踏み切れないのは、おれの意思が弱いからだ。
死んだ後の事なんて考えても、なんの意味もないのに。悲しむ人間が居たとして、そんな長引くものでもないだろうし、そもそもおれは死ぬのだから全て関係の無い話だ。
実際、幸福より苦痛の方が多いよ。だから、死ぬまでに少しでも苦痛と同じ量の幸福を得られるよう、俺は我慢することをやめたよ。 コンビニのレジで支払いしてたらバイク突っ込ん...
増田は前向きだな、おれは不幸が怖すぎて動けないよ いつ死ぬかわからんというのは、救いなのかもな、今を生きれるって事だしさ。
いや、願わくば寿命が見えてて、いつ死ぬか分かってる方が生きやすいよ。だから、その寿命を1ヶ月後に設定して生きてるだけ。1ヶ月後死ぬとしたら何をしたいか?を基準にものを考え...