結局は自分のアイデンティティーを土地に従属させているから自分の暮らす場所を批判されると躍起になって反論しようとするんだと思う
自分が本当にやりたいことがあるならその場所でやれる方法を模索するはずで、場所を言い訳に諦めるのはそもそも心からそれをしたいのだと望んではいないだけで、そして心の底からやりたいことがないからこそ心の隙間を埋めるようなもので満足してしまう
ただこれは都会での消費的な活動に限ったことではなく、都会に住もうと田舎に住もうと自分が本当に望んでいるものを知らないと起こってしまうことだと思うんだ
結局、一番しんどいは他人や文化に目を向けるのでなく自分に目を向けることで、それがしんど過ぎるので一定数の人間は自分に向けるべきはずの目を外に向け続けて生きる