子供の頃学校で嫌われていた。キモイという言葉がいつもつきまとっていた。
それから何をしても、一人で鏡を見るときも、私はキモイんだな、と考えてきた。弁えていられるように自分に思い出させている。知っているからもう誰も指摘しないでくれと願っている。
実際大人になるにつれて、そんなことは誰も面と向かって口にしなくなった。
でも誰も言わなくても、思っているのだろうなと考え続けるだけで疲れてしまった。
同じクラスにいたキモイやつのことを、彼らはオムレツに混じってしまった卵の殻か何かのように、思い出したりするだろうか。
別に殴られたわけでも金をとられたわけでもない。
彼らは生理的に受け付けないものに受け付けないと意思表示し続けただけで、キモイ私をキモイと思うことは悪意ではない。
彼らは多分悪い人間ではない。悪い人間ではない人たちに拒絶される人間のことは、分からない。
彼らのほとんどはまともな大人になって、何人かは問題を抱えた大人になっただろう。
それでも実際何年経っても子供時代の思い出から抜け出せずに結局引きこもっている人間に比べたら、彼らは全員まともな大人になっているだろう。
私は疲れてしまった。
自分が周りにいる大多数の人間を不快にさせるんだということを、ちゃんと知っているように振る舞わなければならない。
でも同時に、誰も他人に対して不快かどうかジャッジするようなことはしていない、というフリをしなければならない。
もうずっと眠っていたい。
こんなことを長々書くようなところが