天命に従って救済を待つだとかの信仰がある訳でも無いのに、親ガチャとかの決定論じみた諦念を抱いてる人ってマジで生きてて楽しいんですか?
そういう運命めいたものに対してニヒルな気持ちを抱いても、どうせ人生諦めて死ぬ勇気なんて無いだろうという事実を認めて自由意志を信じてみるだとか、あるいは神を信じてみるだとかに落ち着くものなんと違いますか?普通。と思いますね。
最近だとインターネットに触発されて自分の諦念に正当性を持たせてくれる反出生に目覚めて、それを使命に生きてる人もいるんでしょうけど、辛くないっすかそういう生き方。
そこそこ(親ガチャとかグチグチ言ってる人基準では恐らくかなり)恵まれた環境でダラダラ生きてきた人間のポジショントークですが……
共感するよ。僻んだところでガチャ引き直せるわけじゃないからね。 スヌーピーの言葉を思い出すよ「配られたカードで勝負するっきゃないのさ、それがどうゆう意味であれ」
共感しかない。 俺は死ぬ勇気がなかったから、膨れ上がった自己承認欲求を満たすために頑張ることにした。 諦めることにはつかれたよ。