違いの有無は問題じゃないと思う。むしろ違いがないことがあり得るのが我々に永遠の意識に関する最新の技術を進めてくるスワンプマンの怖さではないかな。
本当に自分の意識自体が永遠なのか。他者にとって永遠なだけなのか。後者の永遠は、主観的には一般的な肉体の死を迎えた人にとってのそれと変わらない。むしろ少しでも長く生きていたい私には、少なくともその技術を適用した時点で主観的に死ぬ危険性を孕んでいるものに対して、すすめられたところで易々と承服することはできない。
細胞が入れ替わるといっても、あなたも私も「『俺』の寿命は最大でも二年程度だ」とそれを恐れてたことはないよね。経験則で主観的に同一の意識が持続することを知っているから毎日安心して寝ることもできるというものだ。
もう少し非日常的な、少なくとも俺が体験したことがない手術みたいなクリティカルな体験に直面するにあたって実存は問題になってくる。
右脳の左脳のどっちかを機械に置き換えて問題なかったらもう片方も置き換えれば意識を連続的に機械に移せるんじゃないかみたいなことをカワンゴとホリエモンが話してたが。 その話...
ワクワクする話だね。 マインドアップローディング的な話だと、意識の連続性の問題が出てくるから、やつぱり肉体的な死が迫ったときに、延命の措置として行う(一方で肉体的な意識...
てか、肺とか胃とか重要な臓器に関する手術をした人間って既にスワンプマンか怪しいもんだよな。 自分とは異なる存在である限りハードプロブレムとして考えても詮無いことだと片づ...
身体と人格の関係性という話な。 よく言われる「全身の細胞は2年で完全に入れ替わる」わけだから、そこにもスワンプマン的な思考の余地はあるし、臓器や身体の一部を欠損することよ...
「従来そこにあるはずだった自分との違い」を観測できたら、スワンプマン的になるかもしれない。 違いの有無は問題じゃないと思う。むしろ違いがないことがあり得るのが我々に永...
何か「致命的な手術とそこからの復帰」というのが、意識の喪失というものを指すなら、もはや睡眠を通しても同じ疑問が生じるし、身体の物質的な変化という点なら、意識と身体の関...
言いたいのは、やってみなきゃ分からないことの中に、誰もがそれを経験することを余儀なくされちゃってる結果として「これでは意識は死なないな」と安心してるものが混じっている...
脳梁が無い人や断絶した人には選挙権2票あげたい。