親戚の集まりに久しぶりに行ったら、すべてが子育てで占められていた。
子が起きているあいだは、全員の全意識と全発言が子に向けられ、
子が眠ると、子育ての苦労話、復職をどうするか話、子どものためのマイホームの話、夫がいかに育児に非協力的かの話、話題が尽きたら、ひたすら写真を見せあいが続く。
しばらくするとぐずりながら子が起きて…(ry
これを4時間繰り返す。
その場において子無しは私だけであった。というか、ちょっと前まではいた。
繫留流産というやつで、来週に手術をする。
小さな子どもは、普通にかわいかった。やわらかくて、うるさくて、光っていた。
もし産まれてたらなんて、感傷も起こらなかった。
とにかくヒマで、自分がなんでなんのために生きてるのかわからなくなって、ぼんやりとしていた。
Permalink | 記事への反応(2) | 13:01
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親戚は無神経っていうかおそらく 「なんで母親が死んだ子供ごときのために、うちの子が学校で母の日の行事をするのをやめなきゃいけないんだ」的な思考の連中なんやろうなあ
そそ。 子供は国の宝だからね。 いちいち子供がいない人間や流産した人間のことを慮る余裕なんてない。
わかる。親戚の集まりで、黙って酒飲んでるおじさん組みに行きつつある。 仕事の話なんて聞きたくないだろうなーとか思うからだが、子育ての話なんて聞きたくないだろうなーとは思...